ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団79 御柱祭のルーツ

2010-01-08 22:52:34 | 歴史小説
御柱祭の柱が立てられる場所(囲いの中に柱を立てる穴がある)


「諏訪大社の御柱祭も同じなのかしら?」
このヒメの質問には、神社に強いヒナちゃんの出番だ。
「諏訪大社は建御名方命を祀っていますが、御柱にはミシャグチ神が降りてくる『依り代』とされています。ミシャグチ神は東日本で信仰されており、白蛇の形をしているとも言われ、土着の神が集合されたと考えられています。神社の四方に4本の柱を立てるのは、広峯神社と異なっています」
さすがに、ヒナちゃんはよく調べていて、記憶力がいい。
「そういえば、前に仕事をした愛媛県の八幡浜市には、松の大木を海の水で清めてお宮に立て、松明を背負った赤鬼が登り、頂上で松明を投げ捨て、降りてくる、という行事があったわよ。確か、川名津柱松神事と言ったと思うけど」
マルちゃんは全国を仕事で歩いているので、現場の情報に詳しい。
「そういえば、福岡県にも柱祭りがある。瀬戸内海側の京都郡苅田町(みやこぐんかんだまち)の等覚寺でも行われていたなあ」
カントクも思い出したようだ。
「広峰神社の祭りは11月の秋祭りに行われるけど、他の柱祭りもそうなの?」
ヒメの質問は、神無月を考えているようだ。
「諏訪大社の御柱祭は5月です」
「川名津柱松神事も5月だったと思う」
「等覚寺松会も5月だったかな」
「しかし、お寺で同じような祭りがあるというのは、どういことですかね?」 高木はうっかり疑問をぶつけてみた。例によって、すぐに反撃が帰ってきた。
「ボクちゃんの頭は、相変わらず固いのう。この国では、何でも混ぜてしまうんじゃ。チャンプル、チャンポン、神仏混合は、この国の正統な文化なんじゃ。妙なところで、厳密に考えるんじゃない」
「確かにそうですね。しかし、春祭りと秋祭りの違いはどう考えます?」
高木は早々に論点をすり替えた。
「三国志魏書志東夷伝の『馬韓』では、5月には種まきの後に鬼神を祭って昼夜休み無く歌舞・飲酒し、10月には農作業を終え、大木を立てて鬼神に仕える、と伝えています。これを見ると、柱祭りは秋祭りのようですが、春に鬼神を祭る時にも立てられていた可能性があります」
ヒナちゃんには、また、負けてしまった。だいたい、「三国志魏書東夷伝」を、学者達が勝手に「魏志倭人伝」などと言うから、その部分だけが一人歩きするんだ、高木は自分の調査不足を棚にあげて学者のせいにした。
「しかし、これらの柱祭りの起源はそんなに古いのかな? 神社が建てられて以降で、新しいんじゃありません? スサノオや卑弥呼の頃から行われていた、ということになりますかね?」
高木はさらに食いついてみた。
「吉野ヶ里遺跡や平原遺跡の柱跡から見て、もともとは共同体の祖先の墓の前で、天から祖先霊を迎える祭りが行われていた可能性が高いね。その後、世襲の王が誕生すると、王の霊を迎える場所は山上に磐座や山上の墓に移り、さらにその麓に霊が洩る木、ひもろぎ(神籬)を立てた、とは考えられないかな? 神社は、そのひもろぎ(神籬)の場所に後世になって建てられたのではないかな」
どうやら、柱祭りは長老のテーマと合致したようである。えらくはっきりと発言している。
「神社の前に竹を編んで『山』を立てたり、山車で山上の磐座に神社から霊を運んで天上に送り、再び迎えて神社に運ぶのも、同じことだと思います」
ヒナちゃんは、今やすっかり長老寄りである。
「今日のこれまでの話を整理しておこうか。
第1に、射楯(イタテ)とスサノオの子の五十猛(イタケル、イソタケル)が同一神かどうか、という議論をしたが、広峯神社の祭神がスサノオと五十猛で、神が降臨する背後の神那霊山(かんなびやま)が『伊多て神山』と呼ばれていたということは、射楯と五十猛は同一人物ということになる。この地に、スサノオと五十猛親子が進出していたというのはまず確かだと思われる。
第2に、吉備真備は陰陽道を広めるためにスサノオと五十猛の神籬(ひもろぎ)があったこの地に広峯神社を創建し、全国に「スサノオ天王=牛頭天王」として牛頭天王信仰を広めている。ということは、スサノオ天王信仰がすでに各地の人々の間にあり、それを利用するために、この地を聖地とした可能性が高い。この事実は、スサノオ・五十猛の祖先霊を信仰する有力な子孫がこの播磨にいたことを示している。
第3に、鬼神=祖先霊を天から降臨させる『神那霊山』や『霊(ひ)洩ろ木』がある場所に、神社が創建されたというのは、神社が創建される前にその地に祖先霊を祀る氏族がいたことを示している。神社の祭神は、その地の氏神を後世になって神社に移して祀るようになったものであり、神社の創建よりも氏神信仰はもっと古いことを示している。
第4に、魏志東夷伝に書かれた柱祭りが、広峯神社の創建の伝承によっても、卑弥呼の時代から吉備真備の時代、さらに現代まで続いていることが明らかになったことも大きい。
播磨の歴史は、魏志東夷伝と古事記を繋ぎ、古代史を解明する鍵を与える可能性がある」
長老は、いつもの慎重な学者らしからぬ張り切りである。
「織田信長の氏神の津島神社も『津島牛頭天王社』と呼ばれて、東海地方を中心に全国に約3千社あるということだったけど、牛頭天王社の元宮・総本社である広峯神社との関係はどうなるのかしら?」
マルちゃんの疑問はもっともだ。
「それは、尾張一族の祖の天照国照彦火明命とこの播磨との関係になるわよね。忘れていたけど、たつの市に火明命を祀る『粒坐天照神社』があるので、そこに行った時に議論しましょう」
ヒメの締めくくりで、広嶺山を後にした。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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