異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑥ ~内村鑑三の非戦論

2015-05-02 21:29:43 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために

内村鑑三の非戦論


日清戦争をどう見るのかについて、当時日本では義戦論がとなえられていました。この戦争は朝鮮の政治に口出しして朝鮮の発展を遅らせている清をこらしめ、朝鮮を清の手から解放して文明化をうながす正義の戦争であり、文明国である日本が清に対してふるう教訓の鞭であるとの理解が支配的だったのです。当時のキリスト教指導者たちの多くもそのような考え方に立っていました。

...

内村鑑三も日清戦争のおりには義戦論者のひとりでした。しかし戦争に勝利した日本はアジア侵略政策をつのらせ、戦勝に酔った政治家、軍人、言論人、実業家たちのおごりや道徳の乱れは目に余るものでした。自国の利益、自身が強い国になることだけを欲する日本の現実を目にした内村は「日清戦争の義」をとなえた自分を深く悔い、日露戦争のさいには義戦論を捨てて非戦論に立ち、日本の進み行きに対する鋭い批判者、警告者となっていきます。

 

内村の非戦論はいかなる意味においても戦争を認めないというものです。絶対的な平和、絶対的な戦争廃止の立場です。それを聖書そのものが教えているというのがその理由です。理屈をつけずに聖書の御言葉に従う姿勢を内村ははっきり持っていました。彼の非戦論もこの信仰の姿勢から導き出されたのです。

 

内村の非戦、平和の考えの要点だけを以下に挙げます。現代のわたしたちが平和について考えるときにも、耳をかたむけるべき指摘がなされていると思います。

 

▢敵を愛せよとのキリストの教えは決して理想論ではない。これはキリストが命じておられることである。そうである以上、これを守り行う力も神が与えてくださる。

▢軍事的な抑止力によって平和を実現することはできない。もしできるなら、世界はとっくに平和を実現しているはずである。剣をふるうことでむしろ憎しみと報復の連鎖がつのるばかりであるというのが本当ではないか。剣を捨てることによってこそ平和が到来する。悪とは自滅的なものである。

▢キリストが教えられた無抵抗の教え【注1】は人を無気力にするとの意見があるが、反対である。無抵抗は抵抗するより勇気のいることである。われわれは愛のため、勇気のため抵抗しない。敵を愛し、敵の善を思う。これには敵を倒すことにまさる非常な勇気を必要とする。

▢あらゆる戦争の奥底には、人間の罪の問題があることを知らねばならない。われわれは何より自分自身の罪とたたかわねばならない。その意味では敵は外にでなく、内にある。十字架のキリストを仰ぎ、罪の赦しの恵みにあずかることによってこそ、真の和解と平和が与えられる。

 

内村は日露戦争の開戦が迫りつつあった時期に、この戦争は日本とロシアとの戦争にとどまらず、全世界に戦争の悲惨をもたらすものになるかもしれないと警告していました。そしてその後に起こるふたつの世界大戦、十五年戦争と日本の敗戦を見ることなく世を去るのです。

 

【注1】マタイによる福音書5章38節以下。

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑤ ~日清戦争と日露戦争

2015-05-02 21:18:50 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

日清戦争と日露戦争


江華条約締結後の1894年、朝鮮の独立と近代化をもとめる大規模な農民反乱が起こります【注1】。この反乱をおさえるため、朝鮮の政府は清【注2】に援助を要請します。一方日本も朝鮮半島での勢力を維持しようと、朝鮮政府の意向を無視して軍隊を派遣し、日本と清は朝鮮にとどまって向かい合うことになります。1894年、ふたつの国は戦争に突入し、翌年日本の勝利をもって終わります。

...

日清戦争に勝利したことにより、日本は欧米の国々とならぶ帝国主義【注3】国家としての自信を深め、東アジアの国々にあって支配的な地位を得、清に朝鮮の独立を認めさせることにも成功します。これ以後、日本は朝鮮を思うままに支配していきます。

 

日清戦争後、東アジアではロシア、ドイツ、フランスの力が強まり、朝鮮半島でもロシアの力を頼みとして日本の支配に抵抗しようという動きが見られるようになります。これに危機感をいだき、一気に状況を打開しようとした日本は、朝鮮の王妃を殺してしまいます【注4】。王妃をうしなった朝鮮の人々は深く悲しみ、日本に対する民衆の抵抗運動が激しさを増していきます。

 

1904年には日露戦争が勃発(ぼっぱつ)します。この戦争は中国大陸の支配をめぐる欧米の国々のかけひきを背景としていました。日本はロシアによる中国占領を阻むとともに、朝鮮の支配を確固たるものとするためイギリス、アメリカと手を結びました。一方ロシアの背後にはドイツ、フランスが控えていました。

 

戦争は日本がロシアに勝利する結果となり、すでに朝鮮半島を植民地とするための準備をすすめていた日本は、戦争の後欧米の国々との交渉の中で朝鮮支配の承認をとりつけます。日露終戦の1905年に韓国【注5】を保護国【注6】とすることが閣議決定され、続いて第二次日韓協約(もしくは保護条約)が締結されたことによって500年の歴史をもつ朝鮮王朝はたおれ、ここに日本による朝鮮植民地化はほぼ既成の事実となります。

このとき日本国内では日の丸がかかげられ、祝賀行列がくり出されましたが、朝鮮の人々は国をうしなった悲しみに、地をうちたたいて涙にくれたのです。日本政府は朝鮮の全土に巻き起こった激しい抗日運動を武力によって弾圧しました。

 

【注1】東洋の三つの宗教(仏教、儒教、道教)を合わせた東学(とうがく)という宗教と結びついていたため、東学党の乱と呼ばれます。 

【注2】17世紀の初めから20世紀の初め、1912年まで続いた中国の王朝。

【注3】ひとつの国が経済や軍事において他の国々をおさえ、大国となっていこうとする、そのありかた。

【注4】王は日本の支配に抵抗していました。

【注5】1897年に朝鮮国は国号を大韓帝国とあらため、朝鮮国の王は大韓帝国皇帝に即位していました。

【注6】条約にもとづいて他の国の主権によって保護を受ける国。半主権国。外交等の制限を受けます。

 

 


「設立宣言」「設立趣意書」からみる日本会議の系譜――シリーズ【草の根保守の蠢動 第4回/後編】

2015-05-02 21:08:20 | 日本会議  神道政治連盟

http://hbol.jp/31971

「設立宣言」「設立趣意書」からみる日本会議の系譜――シリーズ【草の根保守の蠢動 第4回/後編】

sakura

CC0 Public Domain

 
 本シリーズも今回で連載6回目(途中番外編2編を含む)を迎えた。このシリーズは、安倍内閣の8割以上の閣僚を支え、各方面で活発な運動を展開する日本会議の全体像を明らかにし、その問題点と日本会議に支えられる安倍政権の危うさについて指摘することを目的としている。

 その手始めとして、前回、「日本会議に集まる宗教団体の面々」と題し、日本会議に集まる宗教団体の多さとそれら宗教団体が教義や信仰対象の違いを超えて連帯する様子をお伝えした。

⇒【前編】『日本会議を語る際、「陰謀論」は不要である』 http://hbol.jp/31969

「設立宣言」「設立趣意書」からみる日本会議の系譜


 幼稚で拙速な陰謀論的総括と、誤解を排した上で、まずは、日本会議が辿ってきた歴史を振り返ってみよう。

 日本会議が設立されたのはいまから18年前の1997年。この間、日本会議は「ジェンダーフリー」政策反対運動や改憲運動、そして靖国公式参拝要請運動など、「右傾化政策」の運動の現場で常に先頭にたちつづけてきた。また、その主張の一部を、国旗国歌法の制定(1999年)や教育基本法の改正(2006年)などの形で、政策として実現させてきた (著者不明 2006) (著者不明 2006)。

 日本会議の公式サイトには設立大会で採択された「設立宣言」が残っている(http://www.nipponkaigi.org/about)。

 この設立宣言は「ここに二十有余年の活動の成果を継承し、有志同胞の情熱と力を結集して広汎な国民運動に邁進することを宣言する。」という一文で締めくくられている。つまり、日本会議には1997年の設立以前から「二十有余年の活動」期間があったというのだ。

 さらに日本会議が公開している設立当初の文書を見ていこう。

 設立経緯を説明する「設立趣意書」は

――――――――――――――――――
我々「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」は、設立以来20有余年にわたり、戦後失われようとしている健全な国民精神を恢弘し、うるわしい歴史と伝統にもとづく国づくりのため相提携して広汎な国民運動を展開してきた。
――――――――――――――――――

 との書き出しで始まる。

 つまり、先ほど引用した「設立宣言」の言う「二十有余年の活動」とは、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が行ってきた活動であり、この2団体が日本会議の前身団体であるということだ。この2団体のうち設立が早かったのは「日本を守る会」で、1974年のことだ。「日本を守る会」の出発から考えると日本会議の活動歴は、実に40年の長きにわたるということになる。

 この40年間に「日本を守る会」「日本を守る国民会議」そして「日本会議」が展開した様々な活動は、日本会議WEBサイトの「国民運動の歩み」コーナーに年表方式でまとめられている(http://www.nipponkaigi.org/activity/ayumi

 この表をみればいかに彼らの運動が多岐にわたりかつ執拗なものであるか一目瞭然だろう。


 

元号法制化運動が全ての始まりだった


 特に注目していただきたいのは、この年表の冒頭付近、昭和52年前後からはじまる「元号法制化運動」に関する記述の多さだ。

 GHQの占領政策の一環として、明治 大正 昭和という元号に法的根拠を与えていた皇室典範が改正されたのは1947年のこと。改正直後には元号制に関する白熱した議論が国会で展開されたものの、独立を回復する過程でこの問題はすっかり人々に忘れ去られてしまっていた (ルオフ 2003, 258)。自民党でさえも元号制の維持については積極的ではなく、政府も1961年には元号制に法的根拠がないことを国会答弁で明確に認めた。

 無論、このような風潮に神社本庁や遺族会をはじめとする旧来の保守陣営は躍起になって反論する。しかし、世論を動かし政府与党を動かすまでには至らない。

 そんな風潮を一気に変えたのが、「日本を守る会」だ。

「日本を守る会」は、地方議会での意見書採択運動の展開・全国各地での元号法採択要求デモの実施・各界著名人を招聘しての元号法シンポジウムの開催などの運動を大々的に展開し、政府与党への圧力を強め、その結果、運動開始後わずか2年で、元号法の立法という成果を獲得した。

 数々の保守系団体が長年かけても成功しなかった元号法制化を、「日本を守る会」がわずか数年で達成したことは、保守陣営に衝撃を与えた。この後、神社本庁や遺族会などの旧来の保守団体が「日本を守る会」の周囲にあつまり、連帯を強め、運動手法を取り入れるようになっていく。

 元号法制定運動で40年前に鮮やかなデビューを飾った「日本を守る会」。その流れが2015年の現在、我々の前にそびえ立っているのである。

 次回は、元号法制定運動をさらに詳細に分析し、日本会議の前身団体である「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の役員名簿を読み解き、「今に至る流れ」の連続性を明らかにする。

 期待されたい。

【文献目録】
ルオフJケネス. 国民の天皇. 東京: 共同通信社, 2003.
篠ケ瀬祐司, , 三沢典丈. “草の根保守の先兵「日本会議」.” 東京新聞, 2015年3月28日.
篠ケ瀬祐司, 林啓太, , 佐藤圭. “日本最大の右派組織 日本会議を検証.” 東京新聞, 2014年7月31日.
著者不明. “日本会議 – 安倍の知られざる基盤-中核は宗教原理.” 選択, 2006年10月: 54-57.
島薗進. “現代日本の宗教と公共性.” 宗教と公共空間 見直される宗教の役割 [東京大学出版会], 2014: 261-293.

<文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>
 
 

日本会議を語る際、「陰謀論」は不要だ――シリーズ【草の根保守の蠢動 第4回/前編】 

2015-05-02 21:00:06 | 日本会議  神道政治連盟

http://hbol.jp/31969

日本会議を語る際、「陰謀論」は不要だ――シリーズ【草の根保守の蠢動 第4回/前編】 

富士山

photo by Midori( (CC BY 3.0) )

 
 本シリーズも今回で連載6回目(途中番外編2編を含む)を迎えた。このシリーズは、安倍内閣の8割以上の閣僚を支え、各方面で活発な運動を展開する日本会議の全体像を明らかにし、その問題点と日本会議に支えられる安倍政権の危うさについて指摘することを目的としている。

 その手始めとして、前回、「日本会議に集まる宗教団体の面々」と題し、日本会議に集まる宗教団体の多さとそれら宗教団体が教義や信仰対象の違いを超えて連帯する様子をお伝えした。


 

「宗教と政治」を語る難しさ


 おかげさまで前回の記事もTwitterやFacebookなどで多数の反響を頂戴した。しかし中には、「カルトに支配されている!」「宗教右翼の陰謀だ!」など、いささか的外れな反応も含まれていた。

 今後冷静な議論を進め、日本会議を正確に分析していくためにも、この際、こういった幼稚で拙速な陰謀論的な認識を徹底的に排しておきたい。

 まずなによりも、宗教団体が政治的活動を行うことは一切自由であり、なんら問題がないという点を再度認識しておこう。多数の宗教団体が日本会議を通じて政治活動をすることそのものは、何も問題ない。

 政教分離の原則というのは宗教団体の政治関与を禁止するものではなく、政府による宗教的行為を禁止するものだ。

 また、「あの連中はカルトである」と言い切ってしまうことも危険だ。

 そもそも日本には「なにをもってカルトとするか」についての社会的に共有される基準や定義がない。有り体にいえば各々が「自分の気に食わない宗教にカルトというレッテルを貼っている」というのが実態だろう。確かに日本会議に集まる宗教団体の中には、社会的通念からいえば奇異とも言える教義や儀式をおこなう団体もある。また教義の中に非科学的な主張がある団体も存在する。しかしそれをもって「カルトである」と断じるわけにはいかない。カルトという言葉が反社会的勢力とほぼ同義語として使われる用語である以上、その使用には慎重を期すべきだ。


 

「生長の家」に関する誤解


 このような幼稚で拙速な陰謀論的解釈は現実に様々な誤解の温床になりかねないので注意が必要だ。日本会議と宗教団体の関わりについて、最も広く見受けられる誤解が、「生長の家」と日本会議の関連についての誤解だろう。

 Wikipediaの「日本会議」ページは、この誤解に基づいて、つい最近の版(2015年3月9日版)まで、「生長の家」を日本会議参加宗教団体として紹介していた。
 
 おそらく、この誤解の出所は月刊誌「選択」2006年10月号に発表された「日本会議 –安倍の知られざる基盤」という記事であろうかと思われる。この記事は、これまで一般に出版された分析記事の中でも最も正確かつ広範に日本会議の内部と歴史を分析した良質の記事ではある。だが、「生長の家」の創始者・谷口雅春氏の思想が日本会議の政策に与える影響を指摘する一節の書きぶりは、あたかも「生長の家」と日本会議が現在も密接な関係を保持しているかのような書きぶりになってしまっている。

 だが実態は違う。

 現在の日本会議の役員名簿の中には、「生長の家」関係者の名前は認めらない。

 また、現在の「生長の家」は、電気自動車充電ステーションの全国展開や教団本部がISO14001認証を所得するなどエコロジー路線を前面に押し出す教団になっている。さらに、安倍政権の解釈改憲に異議を唱えたり戦争犯罪の追及や従軍慰安婦問題に力を入れたりと、極めてリベラルな主張も展開している。いまや「生長の家」は「エコロジーリベラル」と言っていいほどの教団になっており、日本会議の主張とは徹底的に相容れない教団になっているのだ。

 前掲の「選択」の記事が指摘するように、「生長の家」と日本会議には因縁浅からざるものはある。また、本連載でも今後この「因縁」を主軸に、日本会議の歴史を分析していくのだが、今現在の「生長の家」と日本会議には一切の関係がないことは、改めて指摘しておきたい。




<文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>
 
 
 

「捏造記者」という表現は名誉毀損か?「元朝日植村記者VS週刊文春」の裁判開始

2015-05-02 16:33:02 | 戦時中性奴隷 慰安婦

意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOShttp://blogos.com/article/111093/

記事

「捏造記者」という表現は名誉毀損か?「元朝日植村記者VS週刊文春」の裁判開始

元朝日新聞記者の植村隆さんが「”慰安婦捏造”朝日新聞記者」などと書かれ名誉を傷つけられたとして、東京基督教大学の西岡力さんと「週刊文春」を発行する文藝春秋を相手取って、慰謝料などを求めた裁判の第1回口頭弁論が4月27日、東京地裁で開かれた。

植村さんは1991年、慰安婦として名乗り出た金学順さんについて、朝日新聞に署名入りの記事を書いた。その記事に対して、西岡さんは著書やウェブサイト、雑誌に「意図的に事実を改ざんした」「悪質な捏造」などと書いた。文藝春秋は「週刊文春」2014年2月6日号で西岡さんのコメントが入った「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と題した記事を掲載した。

植村さんは「捏造はしていない」と主張し、名誉を傷つけられたなどとして、慰謝料1500万円などを求めて訴えた。一方、被告側の西岡さん・文藝春秋側は名誉毀損はないとして、真っ向から争っている。

●被告側の反論は?

東京地裁に提出された答弁書によると、被告の西岡さん・文春側は次のように主張している。(1)植村さんは、金学順さんの経歴として「女子挺身隊」と記した。(2)植村さんは、金学順さんが貧困のため母親にキーセンとして売られたことや、義父にだまされたことなどを報じなかった。(3)植村さんは、義母の裁判を有利にするため、誤解させる内容の記事を書く動機があった。

被告側はこうした点から、記事が捏造だと評しても「意見や論評として、域を逸脱したものではない」として、被告らの記事が名誉毀損にはあたらないとしている。

●原告側はどう主張しているか?

これに対し原告の植村さん側は次のように反論した。(1)当時の報道は、産経新聞や読売新聞も含め、慰安婦のことを「挺身隊」と書いている。(2)キーセンについては産経・読売など他紙も触れず。当時のメモを見ても、金さんは「義父にだまされた」とは言っていない。(3)記事を書いたのは、提訴より前で、義母に初めて出会うよりまえの話だった。

そして、「捏造という言葉の意味は、『意図的な事実の改ざん、でっち上げ』のことで、論評ではなく事実の摘示だ」として、被告らの記事が名誉毀損にあたるとしている。

植村さんは第1回口頭弁論後、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開いた。植村さんは、インターネットで「売国奴」などと激しく攻撃され、脅迫状や無言電話があるほか、高校生の娘まで嫌がらせを受けていると告白。こうしたことをやめさせるためにも、「記事が捏造でないことを、司法の場で証明したい」と話していた。