爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

陽射しのように

2020-09-28 18:03:05 | 日記
春の暖かい陽射しが降り注ぎ、私を包んでくれてる。

労りの温もりを背中に受け、私の気持ちは綻び始めた。

木枯らしの固まりで、荒んだ気持ちが、表面から少しずつ緩んでいく。

お疲れさんと、聞こえそうな光が、足元で飛び跳ねる。

疲れたよねと、ねぎらいの温もりが、両膝にまといつく。

少し救われた思いがした。

誰かも解らないが、見ていてくれてる気がした。

理解とかは要らないが、少し救われたと。

一人で頑張って来たから、見ていてくれたんだと。

そんな日差しに、私は救われた。

また、明日も頑張ろうねって、言われてる気がした。

私は一人ではなかった。








今に思えば

2020-09-28 12:50:24 | 日記
幼少時を振り返れば、親父は家に帰って来る事はなかった。

お袋は一人で頑張って、私を育ててくれた。

しかし、お袋は身体を悪くして、入院する事になった。

小3の時に一人っ子の私は、親父やお袋が傍に居ない環境になり、伯父(親父の兄)さんの所に預けられた。

とはいえ、今まで住んだ事のない、所詮は他人の家。

学校も転校して、知らない集団の中に入れられ。

そんなチビが、どう振る舞えば良いのかなんて、一人で解る筈がないだろう。

わがままを言う訳でもない。

ただ黙って過ごすしかない。

それも、いつまで過ごせば良いのかさえも、解らない環境で。

その内、親父の所へ追いやられた。

そこには、知らないおばちゃんがいた。

そのおばちゃんも、すぐに次のおばちゃんに入れ替わった。

その入れ替わる意味なんて、子供の私には解る筈もない。

本妻さえも幸せに出来ず、次々と女を代えて、思えば親父は、詰まらん人間やったわ。

浮気は、別の話なんだろうから。

しかし、肯定している訳ではないが。

私も爺さんになり、自分の人生を思う時、自分なりに一生懸命生きて来て、自分の子供達を私が味わった、傍に親がいない辛さを、味あわさせずに居られた事は、親としての責任を少しは果たせたと、思っています。

私よりもっと辛い、幼少時の日々を過ごした人達は、世の中には沢山居られるのでしょうが、私の苦労を自分の子供達に、味あわす事無く育てられた事は、親の務めを少なくとも果たせたと、自負しています。

子供の時ぐらいは、伸び伸びと育ててやらなければ、人間として偏った性格には、育って欲しくはなかったから。

それでも、大した人間には、なりませんでしたがね。

















負けない

2020-09-28 06:45:37 | 日記
どの様な状況下に於いても、負けない気持ち、静かなる闘志だけは、失いたくないものだ。

それから「なる様にしかならない」という諦観も、忘れてはならないと思う。

相反する事の様に思えるが、静かなる闘志は、自己管理の根幹の増強をなし、必要以上の期待感は依頼心の増長をなす。

いかなる災禍にも、恐れをなさず、現実を認識し、復興の指針を目指せる様に、胆力を鍛えておきたいものだ。

それに、現実に即して、自分に何が出来るのかを、常に考えておきたいものだ。

身の回りに何が起きても、慌てず冷静に行動出来る様に、日頃から心掛けておきたいものだ。

平和な日本だが、天候不順による自然災害は、いつ我々に襲いかかって来るかも、知れないのだから。

テレビ報道も、対岸の火事では済まない事を、肝に銘じておかなければ、後で泣きを見る事に、成りかねないだろうから。

きれい事じゃなく、明日は我が身なんだから。