11月15日より三泊四日の日程で四国霊場八十八ケ所巡礼の旅に参加した。
大学時代の友人である真言宗寺院住職の誘いを受け、本年4月に参加させて頂き、今回2回目となる。
先ず茨城教区内寺院住職F氏と前日に高松入りし、法然上人ゆかりの法然寺に向かった。
宿泊先のホテルチェックイン後、最寄りのことでん「片原町」駅より電車に乗り「仏生山」駅へ!
仏生山駅から法然寺までは歩くと30分ほど。あまり時間もなかったのでタクシーに乗車。
法然寺本堂(明治40年に再建)
書院玄関 仁王門
朱印帳をお願いすると「どうぞ本堂へ入ってお参りください」とご案内頂き、書院玄関より本堂内へ!
本堂内陣(本尊は法然上人一刀三礼の秘仏)
法然寺では現在五重塔を建築中、ほぼ完成に近く、明年に落慶との事!
法然寺開基である高松藩祖・松平頼重公は、徳川家康公の孫であり、また水戸光圀公(水戸黄門)の実兄にあたる。 この頼重公が生前かなわなかった願いがあった。それは、自らが 開基となって建立した仏生山法然寺の山頂から、齢73で没する2年前に「仏舎利」が発見され、これを安置すべき『五重塔』を建立するという願い。
法然寺では、頼重公没後300年を閲して、この悲願を新世紀の一大事業として成就せんと五重塔の建立を発意された。
讃岐うどんの発祥?
法然寺を開創した頼重公は、同時に門前町を開発し、そこに高松藩中の製麺業者を集めた。平池の水で水車を回し、小麦粉を挽いて無利子で貸し付け、製麺を奨励した。お城の役人が出向いての検査・仲買システムもできあがり、仏生山の人びとはみな麺づくりに精を出した。これが「さぬきうどん」の発祥。うどんが「文化」になる時代を、頼重公はお見通しだった?
~法然寺パンフレッドより~
私の師僧であった横浜光明寺前住職は生前事あるごとに法然寺ご先代の墓参に行っていた。そのことを思い出し我々も歴代上人墓前で十念。
法然寺参詣を終え、宿泊先に戻った。翌日からは愈々八十八ケ所巡礼が始まる!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます