8月30日夕方、いつもお世話になっているH氏との会食で湯島にむかった。
話題は尽きず業界から昨今の政局まで話が続く!
結局、H氏の自宅へ伺うことに!
H氏ご母堂、ご婦人の歓待?に恐縮m(__)m
話が盛り上がると思ったらH氏しばし睡眠タイム!
H氏ご家族とお話も尽きた頃、H氏復活!
私はおいとま!駒込でクールダウン!
Hさま!ほんじつはいろいろとありがとうございました。
お預かりした郵便物は間違いなくポストに投函しました。
またお誘い下さい。
8月30日夕方、いつもお世話になっているH氏との会食で湯島にむかった。
話題は尽きず業界から昨今の政局まで話が続く!
結局、H氏の自宅へ伺うことに!
H氏ご母堂、ご婦人の歓待?に恐縮m(__)m
話が盛り上がると思ったらH氏しばし睡眠タイム!
H氏ご家族とお話も尽きた頃、H氏復活!
私はおいとま!駒込でクールダウン!
Hさま!ほんじつはいろいろとありがとうございました。
お預かりした郵便物は間違いなくポストに投函しました。
またお誘い下さい。
8月28日午後5時より、常徳寺を会所に豊島組拡大参務会が開かれた。
豊島組とは近隣の浄土宗寺院70ヶ寺で構成されている、今会議は豊島組の役職者の会合で沢蔵司稲荷・慈眼院ご住職が組長である。来たる宗祖法然上人800年大遠忌に向けて議論がなされた。
机上には一昨日ご紹介した「どら焼き」が!
1時間半の会議終了後、近所のU店で食事会。その後S氏、Y氏と白山下T店で今会議の総括!
8月27日夕方、増上寺雅楽会の合宿を終えた茨城教区内寺院住職で後輩のF君が来寺。
久しぶりに会うので近所で食事!結局彼はもう一晩東京泊りとなった。
小柄ながら大食漢!
なかなかの酒豪!
理論家!
その他?
上記の要素が加わって長丁場となりました(^.^)
8月27日午後、新宿納戸町にある和菓子店「岡埜栄泉」に出かけた。
ここは常徳寺の檀家総代が営んでいるお店。拙寺の行事でお出しする「お斎・供物」はすべて総代さんにお作り頂いている。
明治43年創業。厳選した原料を使用して「あん」から自家製造している。特に「特製どら焼き」は人気商品。
人気商品の「特製どら焼」は、ふんわり焼き上げた厚い皮の中に、北海道十勝産小豆の、つぶあんが入っている。明日夕方、常徳寺を会所に会合があるので、お茶菓子としてお出しする予定。
東京に「岡埜栄泉」は30店舗以上。チェーン店ではなく、古い時代からのれん分けを繰り返してきたのだそうです。納戸町・岡埜栄泉は本年創業100周年を迎えた。変わらぬ伝統の味をこれからもお守り頂きたい。
8月25日、M氏との月例会の為、お決まりの待ち合わせ場所へ!
ここから望める東京スカイツリー。前回撮影したのが7月8日。確実に成長しています!
約50日で30メートル伸びました。
8月24日 法類寺院(お寺同士の特別な関係)の幸手市・聖福寺施餓鬼会出仕。
江戸時代、将軍 徳川家康のなきがらが日光東照宮に移されてから、歴代将軍は都合18回におよび日光参拝をされたが、聖福寺は日光街道という交通の経路にあたり、「御殿所」として将軍休憩所の役割を果たした。
江戸城を出て一泊目が岩槻城、二泊目が古河城、その中間が幸手であり将軍の休憩所となった。
聖福寺本堂
江戸時代の設計をそのまま、昭和初年に新改築した。
山門(勅使門)
この唐破風の四脚門は約350年の歴史を有し、扉には菊の紋様が刻まれており勅使門と呼ばれている。かつては将軍一行や例弊使(天皇が祭礼に送る使者)が来たときしか開かなかった。
欄間(四天王) 欄間(ぶどう) 伝 左甚五郎作
四天王の欄間は本尊様に対して、お尻を向けている。本来本尊様を守るように配置するのが形式だが脇間の将軍の間を守っている。
徳川歴代将軍(13代まで)のお位牌が安置されている。
かご2台 菊の紋
本堂廊下天井に吊るしてあるカゴは住職専用として使用された。漆塗りのかごは大名クラスの格式!
江戸時代の灯篭、前机、供物台の金具には菊の紋が・・・・!格式社会の江戸期に菊の紋が許された。
施餓鬼法要
12時半よりご法話、本日のお説教師は青森教区のご上人
法要の様子
本日をもって本年の施餓鬼法要出仕も完了!連日の猛暑だけど、昨日は「処暑」!暦の上では暑気止息する意であるが、まだまだ暑さは続くようである。ご自愛のほど念じ上げますm(__)m
8月16日、福島県桑折町にある坂町・観音寺に参詣。観音寺は私の親戚が住職を勤めるお寺で実母の墓がある。子供の頃はここが遊び場だった。変わらない風景に懐かしさを感じる。
江戸時代に、全国有数の大藩であった仙台藩主伊達氏は、ここ桑折町が発祥の地である。伊達氏は、鎌倉幕府を開いた源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした合戦で手柄を挙げた常陸入道念西(朝宗)が伊達郡に入部し、伊達氏を称したのがはじまりである。
観音寺の創建は宝治年間(1247~48)に四代伊達政依が父親である伊達義広の菩提を弔う為、開基したと言われています。当時、伊達五山(満勝寺、東昌寺、光明寺、観音寺、光福寺)又は伊達五ヶ寺と呼ばれた寺院の1つで、他の4つ寺院が伊達氏と共にしたのに対し唯一現在地に留まりました。その為、観音寺には伊達氏縁の品々が当寺に残り多くの文化財を有しています。主な文化財は次ぎの通りです。
● 木造聖観音像 - 福島県重要文化財
● 木造聖観音菩薩坐像 - 福島県重要文化財
● 絵馬・洛中洛外図 - 福島県指定重要有形民俗文化財
● 絵馬・田村将軍蝦夷退治図 - 福島県指定重要有形民俗文化財
● 木造阿弥陀如来坐像 - 桑折町指定文化財
● 木造不動明王立像 - 桑折町指定文化財
● 木造毘沙門天立像 - 桑折町指定文化財
● 木造十王坐像 - 桑折町指定文化財
● 木造神像 - 桑折町指定文化財
● 木造奪衣婆坐像 - 桑折町指定文化財
● 孝子善之丞幽冥感見の曼陀羅 - 桑折町指定文化財
● 阿弥陀三尊来迎図 - 桑折町指定文化財
又、観音堂は元禄元年(1688)に建立された桑折町を代表する古建築で近世の寺院建築としも貴重な存在となっています。
二天門 観音堂
子供の頃、二天門に奉られている「阿・吽 あうん」の仁王像はとても怖く感じ、直視出来なかった。観音堂はよく御拝を駆けずり回ったり、縁の下でかくれんぼ。正面の綱にぶらさがってターザンごっこ。住職さま ごめんなさいm(__)m
本堂 奥の院観音堂
奥の院観音堂に安置されている観音像は秘仏であり、33年に一度ご開帳される。本年その御開帳の年に当たり、4月に盛大にご開帳法要が執り行われたようだ。私もご案内を頂いたが先約のため欠席した。前回のご開帳は私が中学生の時だが、何となく覚えている。
桑折・西山城跡
前述のとおり桑折町は伊達家発祥の地で初代朝宗の墓がある。写真の西山城跡の山は「高舘山」と言い、そのふもとに観音寺がある。
桑折町を後にして次は川俣町へ・・・・・つづく
8月16日、土湯温泉滞在。先日ご紹介のとおり福島県中通り・県北地方は温泉も豊富!特に飯坂温泉は有名だが、土湯温泉もおすすめです。
土湯温泉に入るとこけしがお出迎え!鳴子、遠刈田と並びこけしの三大生産地に数えられる土湯。首を回すとキイキイと鳴く“土湯こけし”は、約160年前に誕生したと伝えられる伝統民芸。今でも19人のこけし工人が伝統を守り継いでいる。
興徳寺参堂 聖徳太子堂
温泉街を散策していると興徳寺というお寺があった。由来を見ると直江兼続と親交があった九山禅師の隠居寺として建立。
夕方になると各家庭で送り火! 地元の方、観光客総出の盆踊り!
土湯温泉の盆踊りは地元と観光客が同化し、楽しく去り行く夏を共有しおおいに盛り上がる。皆に手ぬぐいと提灯が配られ、最後の福引では沢山の景品が用意されている。くじにははずれたが参加賞を頂いた。
土湯温泉を流れる「荒川」
阿武隈川水系の川で最近の新聞をみていたら東北地方で一番の水質の良さらしい!
「福島の風景」まだまだ続きます!