テル坊主

~あーした転機?になーれ~ 日常の出来事をぼやき、つぶやきます!

震災その後  福島県桑折町

2011-03-27 09:26:57 | インポート

福島県桑折町・観音寺副住職が震災後の様子を写真で送ってきた。

桑折町は福島県中通り県北に位置し、福島原発から60キロの場所。

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スーパー・コンビニでは、なかなか食材が入って来ない為、畑で採れた食材(大根・じゃがいも・)と前もって買い置きしてあった食材(こんにゃく・ソーセージ)で煮物。冷凍にしてあった油揚げでお味噌汁。「ここではまだ食べ物があることに感謝していただきます」 ~副住職談~

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                                            至る所で片付けられたブロックが山積み・・・ 

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桑折町立醸芳小学校は卒業式中止。今月いっぱい休校。大地震時は恐怖のあまり泣き出す子供もいたそうです。 因みに私の母校でもあります。

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大地震時から消防団は屯所に交代で詰め、見回り・給水・復旧作業を続けている。

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地元地区公民館には南相馬市からの避難者が寝泊まりしている。

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    やっと新幹線の復旧作業が・・             私の両親宅。右側部分が沈下している

今回の大地震で被害の大小はあっても、皆それぞれに希望をもって日々復興に歩んでいる。大きい被災地、避難所はマスコミ等で取り上げられるが、被害もそこそこ、原発とも微妙な距離にある我が郷里は中々報じられないので時々ご報告させて頂きます。


東北地方太平洋沖地震 記録  福島県桑折町・観音寺

2011-03-25 16:18:30 | ブログ

親類寺院である福島県桑折町・観音寺副住職が震災後の記録写真を再び送ってきた。

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             観音橋脇道路修復前                    修復中

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11日の大地震では大きいお地蔵さんだけ斜めに向いていたが、毎日の余震で不思議なことに小さいお地蔵さんも同じ方向に・・・

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浄化槽が液状化現象で持ち上げられた為、地震後十数日経った今もトイレ・水道は使用禁止。工事も順番待ちでなかなか来られないようだ。いつになることやら・・・

      

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         若干傾いた鐘楼堂           本堂の補強がはずれてしまった


法然上人八百年大遠忌 延期

2011-03-24 15:26:14 | ブログ

今般の巨大地震の惨状を鑑み、浄土宗総大本山は法然上人八百年大遠忌法要を延期することにした。

総本山知恩院は今般の地震の惨状を鑑みるに、いまは被災者への復旧支援を最優先することが、衆生救済を生涯にわたって説かれた法然上人の御心に適うとの御門跡(住職)の御言葉に従い、今秋まで大遠忌法要を延期する事を決断した。

常徳寺は大遠忌法要に併せて団参(参拝旅行)を企画していたが、知恩院に順じて旅行を取り止めた。今秋に改めて団参を企画予定である。

私が以前勤めていた仙台・定義如来西方寺の住職は知恩院の大遠忌法要で脇導師をお勤めになる予定だったが、地震の惨状を鑑み、知恩院に対し、法要での御役を中導師と共に辞退する旨、申し入れをしたようだ。私も法要に随喜する予定だったが、昨日西方寺住職より電話を頂き辞退するとのお話だった。


東北太平洋沖地震 被害状況 福島県 (福島市・桑折町)

2011-03-22 14:34:31 | ブログ

福島県桑折町の親類寺院副住職が震災後の記録写真を送ってきた。

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             崩壊寸前の家屋                無能寺(桑折町)本堂の瓦 

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             神社社務所半壊                 道路脇塀倒壊

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                   大地震時から停車している貨物列車 

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      観音寺(桑折町)釈迦堂参拝禁止              新たな陥没 

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観音寺(桑折町)では大地震で被災された方々の早期復興と、犠牲となられた方々のご冥福を祈り、坂町町内会念仏講の皆さんと共に涙ながらのお念仏。南無阿弥陀仏        


春季彼岸法要

2011-03-21 15:32:15 | ブログ

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3月20日 午後2時半、彼岸法要厳修。

法要では東北地方太平洋沖地震で犠牲になられた方々の追悼と未だ先が見えず不安の中で避難されている皆様の一日も早い復興を念じ、祈りを捧げ、地震発生時刻の2時46分には参詣頂いた檀信徒と共にお念仏をお唱えした。

前回のブログを見て頂いた方より、温かいコメントを頂きましてありがとうございました。

福島にいる親族・友人に直近の様子を電話で聞いてみた。

父親談(桑折町在住)

   「ガソリンがないので物資や薬を手に入れる事が出来ない!米は1年分買ってある

    ので心配ないが、他の食糧がない・・・3食梅干しで凌いでいる。納豆が食いてー」

親戚談(桑折町在住)

   「ガソリンが間もなく底を尽く。何とか食材はもっているもののいつまで続くか?

    皆、日に日にストレスが溜まってきているようで体調を崩されないか心配です」

友人談(会津若松市在住)

   「ふるさとの山々を見るだけで癒されていたのに、荒れ果てた姿を見ると同じ東北人

    として悲しくなってきます」

甥っ子談(川俣町在住)

   「川俣は原発近隣住民の避難所になったけど避難された方々が、食糧や物資の買い

    出しをするので逆に地元民が食糧難に・・・ その避難民もさらに安全な場所を求めて

    埼玉スーパーアリーナに移動したよ!えー残された地元民は…複雑・・・      」

ガソリンや物資・食糧不足はいずれ解決されるだろうけど、原発はかなり深刻です。風評被害がじわじわ出始めているようです。

◆追記  

①先程、福島県桑折町・観音寺副住職より近況報告あり。

 やっと水道が回復したのもつかの間、回復したことによって一度に多くの水道水が使われ  

 た為、下水道ががあちこちで破裂・・また断水になりそうだと・・ 余震もいまだ多く、緩んだ

 瓦が余震で崩れてくるとの事。

②本日午後、沢蔵司稲荷のブログを見た母が、地下鉄を利用して救援物資を浄土宗宗務庁  

  に届けた。

         沢蔵司稲荷のブログ


東北地方太平洋沖地震

2011-03-19 10:14:24 | ブログ

3月11日午後2時46分に発生した三陸沖を震源とする巨大地震は一瞬のうちに多くの尊い命を奪った。そして原発事故をはじめ、二次被害、三次被害と拡大している。

常徳寺は本堂内陣の飾りが落下、墓誌一基転倒、境内の石仏数体が倒壊したが、さほど大きな被害はなかった。

 

◆常徳寺の被害 

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身代わり地蔵さまは幸い倒壊を免れたが、余震の心配もあり現在台座からはずして退避させている。

◆福島行き

私の郷里である福島県桑折町(中通り・県北)も震度6強の揺れを観測し甚大な被害を受けたようだ。震災直後は安否確認するにも通信手段が遮断され一向に連絡がとれない状態が続いた。

震災当日、たまたま上京していた福島の親類寺院副住職と友人の二本松市・寺院住職は東京で足止め。帰る手段を模索していた結果、私の乗用車を貸してほしいとの依頼があり、福島行きを決断した。出発は13日早朝。私を含め4人で福島へむかった。

高速道・鉄道が遮断されたため、車で朝5時寺を出発。この時点でガソリンは半分。上野にある24時間営業の「ドンキ・ホーテ」に立ち寄り食糧や物資を調達するも、すでに水・カップラーメンは売り切れ。道坂下の「肉のハナマサ」でかろうじて残っていたペットボトルの水を(段ボール2箱)確保。

扇大橋より首都高川口線で北上。当然東北道は通行止めのため、川口JCTで一般道へ。先ずガソリンの補給が最優先だが、沿道のGSは日曜日とあって休業か営業していても売り切れで給油を待つ車列が続く。しばらく走りかろうじて満タンにする事ができた。それからは国道4号線をただひたすら北上。ときどき休憩でコンビニに立ち寄るも乾電池・食糧は売り切れ状態。沿道の民家も北上するにつれ、被害が大きい。

ガソリンはまだ充分だが、この辺で入れておかないと帰りが心配されたので、給油を待つ車列に並び補給するも、1台千円分までの条件付きだった。ついでに灯油も買ったが、やはり1人ポリタンク1つの条件だった。

福島との県境である栃木県・矢板市内のファミリーレストランで遅い朝食。おそらく福島に入ると食事をとる場所も難しいと思われた。

いよいよ福島に入るが、所々被害の様子を撮影をしたのでご覧頂きたい。

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        瓦の崩壊する民家が所々に・・・           所々で通行止め表示・・・

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         自衛隊の災害派遣車両が何台も・・・      自衛隊による炊き出し・・

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                  食糧や物資調達の為、大型スーパーには長蛇の列が・・・

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                   二本松市内寺院では墓地の倒壊、瓦の散乱が・・・

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             位牌堂は位牌が落下し散乱・・・

午後3時半、福島市内の長兄宅到着。この日は長兄宅に泊めてもらうことにした。震災直後から停電・断水が続いてるとの事。

夜はローソクを灯しながらカップラーメンの夕食。時折やってくる余震で落ち着く間もない。

翌日郷里の桑折町に向かった。桑折町には私の両親が暮らしている。80歳を過ぎた老夫婦も断水・停電・電話が使えないなどでほとほと困っていた。東京から持参した水と食料を手渡し、しばらくしのいでもらうほかない。実家の隣にある親類寺院の被害は甚大で本堂が傾斜し、中も天井が落ちる寸前。境内の諸堂も崩壊寸前の建物もある。

隣町である国見町の親類寺院に行くとやはり本堂内は荘厳や位牌が落下し散乱していた。墓地の倒壊も多い。

建物等の被害はあるものの、人的被害がないことを確認して帰京することになるのだが、ここで問題になったのは帰りの燃料。たまたま従兄弟が職業上、ガソリンの備蓄をしていたので少し分けてもらった。

14日午前10時半福島出発。帰宅時間は午後9時半でした。

私の長兄は福島市、両親は桑折町、次兄は川俣町に住んでいる。いずれも原発から半径70キロ以内である。特に次兄が住む川俣町は45キロ以内にあたり、危険と隣り合わせ。現在原発近隣の住民が避難所として川俣町や福島市に退避しているが、特に川俣町は原発に近いことから避難民は埼玉スーパーアリーナに移動するらしい。

この大震災によって多くの犠牲者を出し、いまだ先行き不安な中で寒さと余震に震えながら過ごしている被災者の一刻も早く落ち着いた生活が取り戻せるように願うばかりである。

自分が出来ることは節電や無用な買占めをしないこと。そして亡くなられた方々への供養と祈りである。


豊島組 拡大参務会

2011-03-07 21:49:53 | ブログ

3月6日午後5時、常徳寺が所属する浄土宗東京教区豊島組(70ヶ寺で構成)の拡大参務会が開催された。私も豊島組の事務局として会議に参加した。

小石川・沢蔵司稲荷別当で慈眼院住職が現在、豊島組組長である。

したがって詳細は沢蔵司稲荷のブログをご覧ください。

     沢蔵司稲荷のブログはこちら


巣鴨とげぬき地蔵

2011-03-07 21:40:37 | ブログ

3月6日午後、所用の為、巣鴨へ出かけた。

天気も良いので運動がてら歩くことにした。歩く事30分おばあちゃんの原宿で有名な巣鴨地蔵通商店街に到着。何といっても「とげぬき地蔵」で知られる高岩寺が有名だが、それとは別に商店街入り口左手に真性寺という真言宗豊山派の寺院がある。この寺は江戸時代に江戸六地蔵の第四番が安置され、また江戸幕府8代将軍徳川吉宗もたびたびこの寺に立ち寄ったそうだ。

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                 真性寺 江戸六地蔵と本堂

因みに真性寺の副住職は私の大学時代の同級生です。大学1年時は、全寮制でしかも同室であった。その関係もあり晩婚だった彼の結婚式にも数年前、出席させて頂いた。

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      とげぬき地蔵参道                   洗い観音の順番を待つ参詣者               

地蔵通り商店街に入りしばらくすると右手に「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれるお寺がある。正式には曹洞宗萬頂山高岩寺という。

ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。こちらの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただくことはできない。

また境内には、「聖観世音菩薩」があり、この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれ、これが「洗い観音」の起源。

おばあちゃんの原宿と言うだけあって商店街に入ると平均年齢が一気に上昇!!

お年寄りが明るく元気な世の中は大切である!巣鴨で逆に元気を頂いた・・


境内の梅

2011-03-07 17:00:46 | ブログ

常徳寺境内では紅梅・白梅が開花し参詣者の目を楽しませている。

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すでにピークを過ぎ、ぼちぼち散りはじめているが、この時期になると土日には梅花に誘われて、通りすがりの方が境内にお入りになり写真撮影をされている。

            「自然が仏法を無言で語る」

季節の移り変わりが際立っているのが、日本の四季。特に春は木々が芽を吹き、花が咲き、正に躍動の季節!季節に溶け込んだ仏教行事もある。特に春秋の彼岸は日本独自の行事。日輪が真東から真西に沈み、沈む夕陽に極楽浄土を重ね合わせる。昼と夜が同じ時間であることから右にも左にも偏らない中道を示す。そう!もうすぐ春のお彼岸です。


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