常徳寺境内にある蓮が開花した。母が泥だらけになりながら手掛けた蓮で、年々蓮鉢も増え、今やその数大小合わせて23鉢ある。これからは蓮に誘われて鑑賞や写真撮影で訪れる方が多くなる。いろいろな方がお寺に足を運んで下さるのは良い事。正に「蓮が取り持つ衆生縁」!
六地蔵がお守りする無縁仏の周りを
蓮が囲む。常徳寺では毎年7月24日
午後5時より、この無縁仏前にて
「千灯供養」が勤められる。どなたでも
参加出来るので是非お出かけ頂きたい。
常徳寺の千灯供養
毎年 7月24日 午後5時
多くの方々にお供え頂いた「お灯明」
夕暮れと共に一つ一つの灯は、
無縁から有縁につながる灯となり、
安らかな気持ちになる.
~おまけ~
色づいてきたミニトマト!
26日、ダライ・ラマ法王の法話と講演がパシフィコ横浜展示ホールで開催された。第一部の法 話は拝聴出来なかったが、第二部の講演を聴講した。
パシフィコ横浜展示ホールは総面積20,000m2、高さ13~19mのパシフィコ横浜で最大の面積をもつホールです。
展示ホールとして柱が無いスペースとしては、日本一の広さらしい。会場は満席、入場のセキュリティも厳重だった。
真言宗豊山派僧侶による「般若心経」読経 サックス奏者 渡辺貞夫の演奏
講演でダライ・ラマ法王は現世を生きることは愛情と思いやりを持つこと、宗教の有無、文化思想の隔てなく、偏見のない愛情が必要であり、その思いやりの心を持って正直になれば、健康であり信頼関係が築けると述べている。「愛と思いやり」の必要性を繰り返し訴えておられた。当たり前の事のようであるが、ダライ・ラマが発言されると言葉に深さと重みがある。
久しぶりのブログです。実は6月22日~24日まで向丘・願行寺様(部内)主催の参拝旅行に参加していました。東京よりバスで新潟・会津方面を巡り、24日夜帰宅。
弥彦神社 広々とした越後平野の中央に聳えたつ弥彦山の麓に鎮まります弥彦神社は、古くから「おやひこさま」と呼ばれ、心のふるさと、魂のよりどころとして広く親しまれてきた。小雨の降る中境内はうっ蒼たる樹林に覆われ、亭々たる老杉、古欅は見るからに神々しい。
白虎隊十九士の墓 戊辰戦争で戦った16才~17才の若い少年たちがこの地で命を絶った。見学後、案内所の方が剣舞を披露。
昼食場所(山都町) そばどころ会津でも山都のそばは特に美味しいと言われている。
会津大仏(願成寺)隆寛律師(多念義)の開基
勝常寺(会津)国宝の薬師如来並びに両脇侍が安置されている。境内にある収蔵庫には数々の国重文の仏様が収蔵されているが、その中の「雨降り地蔵」は常徳寺の身代わり地蔵のモデルとなったお地蔵様である。
会津仏教文化の礎を築いた恵日寺。右は平成20年に復元された金堂。
最終日の昼食、「会津わっぱめし」お米が特に美味しい!
以上2泊3日の旅行、とても楽しく過ごさせて頂きました、今回は調布・深大寺の住職ご夫妻も参加され、いろいろお教えを頂いた。主催の願行寺様に感謝 m(__)m
本日、施餓鬼手伝いの為、車で厚木・源正寺に向かった。源正寺は常徳寺の親類寺院が兼務住職をしている寺。途中同じく親類寺院の神奈川県大和市・鶴林寺に立ち寄り副住職運転の車に乗り換えて厚木へ向かった。
鶴間で最初の学校跡
鶴林寺境内に祀る神さま。右は蚕神様で明治初期この地方で蚕が病気で大量に死に、その死骸を今の蚕神さまに持ち寄りそこに祀られたといわれる。左はご承知の学問の神様、菅原道真を祀る天神さま。
鶴林寺境内「下鶴間不動尊」 鶴林寺「永代供養墓」
鶴林寺副住職運転の車で厚木・源正寺に向かう。源正寺は親類寺院が兼務住職をしている寺である。建物は本堂と薬師堂のみ。いわゆる住職が常駐していない寺である。
源正寺本堂 薬師堂
源正寺に行き始めて二十年になるが、住職の話によると昔は檀家数も少なかったが、現在は新興住宅地となり、檀家数も倍になったとの事。昔はいざ施餓鬼法要を開式する直前に「あと、○○さんが来ていないのでもうちょっと待ってください」という事があった位、御檀家の出席率は百パーセントだったらしい!現在も限りなくそれに近い!
源正寺内陣 法話中
源正寺のお檀家ご夫人方が心を込めてお作り頂いたお料理。寺檀関係の原点を感じる!
毎年源正寺にお手伝いに行くが、寺の行事をお檀家さんが中心となって盛り上げていく本来のお寺のあり方がまだ残っている。
因みに今日は帰宅すると約束していた知人と合流、近所のU店で食事。すると長野帰りのS氏が来て、一言「テル坊主のブログは飲み屋のことばかりと書いている」と長野に行った仲間と話していたと言われた。それだけ見て下さってるということか!ありがたい。 ポジティブです。