まあるい客車の屋根の
張り替えたばかりの帆布製の屋根の上から
何が見えたというのだろう
太陽の熱を吸って暖かくなった
小石や砂が敷き詰められた客車の屋根の通風器に腰掛けて
秋の空を眺めてみるのだけれど
底が抜けてしまったような空の向こうに何が見えたというのだろう
青春の気負いも
あるいはただの世間知らずな故に持っていただけのものかも知れず
それは恋愛を知ったかぶりしてみたところで
未だ女性と睦みあったことのない僕に
わからぬ細やかな感情の高ぶりというものにも似て
日本国有鉄道が消えていく
そのことに未練がないとその頃は思っていたけれど
実のところ僕は国鉄が好きだったのかもしれない
未だ見えぬ未来の鉄道への思いは
そのまま
見えるはずのない鉄道を離れた自分の未来にも繋がっていたのか
スハフ42形客車の
どっしりとした車体の上の優しい帆布は
まさしく優しさとは堅固さの上に成り立つものであるということを
今思えば
教えてくれていたような気がしている
そういえば
あの頃の僕は
ようやく一人の女性にまともに恋をするという場面に出くわし
大仰に
立派な国鉄マンになるなんて恥ずかしげもなく宣言していたり
その舌の根が乾かぬうちに
国鉄の現場を去って
写真などという全く違う世界に身を置くことになるのだが
それはしばらく後のことだ
屋根の上から下界を見おろせば
茶色の軌道敷にいくつものレールの筋がひかり
その筋はポイントで合流し分岐し
ただっぴろい工場敷地の隅々にまで拡がっていく
レールの上には茶色や青色の客車
それにたくさんの黒い貨車
なかにはアルミ色の貨車や朱色の気動車もあって
整備入場を待っている
けれど
目を反対側の工場敷地そのはずれのほうへ向けると
そこには輸送方式の改革で使われなくなった荷物車や郵便車や貨車
電化で不要になった気動車や客車が数珠繋ぎにされ
その脇の廃車では青いガスバーナーの煙がひと筋立ち上り
由緒正しき国鉄が無残な姿を晒して解体されていく
車両に命というものがあるなら
寿命を全うできずに溶鉱炉へ帰ることをどれだけ無念に思うことだろう
輸送の効率化近代化という名目で
捨てられ解体されていく愛すべきクルマたちの無念さだけは
自分にも理解できるような気がしていて
それは今の自分のルーツになっているのかもしれない
あの
日本国有鉄道が消えてから四半世紀
いや
僕が屋根の上から秋の空を眺めた大阪鉄道管理局高砂工場の
その機能が完全に停止してから三十年
僕は今もって鉄道ファンであることだけは公言しているのだ
(銀河詩手帖254号掲載作品)