story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

詩小説・月光と波

2012年12月28日 16時18分36秒 | 小説

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目の前に広がる乳房は青白い
柔らかな稜線も仰向けになれば重力によって圧されて
僕はその上に乗った青黒い乳首に自分の唇を這わせ想いを添わせていく

耳に聞こえるのはただ波の音だ
いや
すぐ近くを走る国道のクルマや鉄道の列車の音も聞こえているはずではあるが
君はいざ知らず
僕の耳に聞こえているのは波の音と
周囲を気にして抑えているだろう君の囁くような息遣いだけ

小望月の青白い光と
住居や道路、公園から漏れる水銀灯や蛍光灯の類の明かりが
暗闇のはずの夜に僅かばかりの色合いを漂わせる
夜はけっして闇ではなく蒼いのだ
深く透明な蒼なのだ

波の音は時に激しく
時に優しく僕たちを包む
不思議なことに、君の息遣いも波の音と合わせているかのように
激しくなり優しくなり哀しくもなる

満ち潮になれば消えてしまうだろう僅かばかりの砂浜
その砂浜に乗せられている巨大なヒトデのようなテトラポット
そして近代が始まったころに積み上げられただろう石垣
後ろには黒ずんだコンクリートの堤防が聳える

僕たちは石垣の上に座って海を眺めていたはずだ
巨大な太陽が水平線に没するその少し前から
お互いにビジネススーツに身を包んでこの場所で並んで座っていた

夏ではない
秋であり今日の寒さはすでに気が早い冬のようでもある
風は冷たく波は白く空は大きく
君がどう思っていたか知る由もないが
少なくとも僕はやりきれない気持ちでいた

「海が見たい・・このあたりで夕日が沈むんよ」
一緒に乗った快速電車が小駅を通過するとき
電車のドアに向かって立っていた僕たちは無言だったが
ふっと、君が呟いた
長方形のドア窓の外には夏にはにぎわうビーチが広がる

その言葉に
二人の間に篭るどうしようもない遣り切れなさから
そこから逃れたかのように感じたのは紛れもなく僕のほうだった
「次で降りようか」
僕の言葉に君は僅かに頷いてくれたのだ

駅前の歩道橋を渡り、この場所に居ついたのは
僕がかつてこの町の住民でここをよく知っていたからに他ならない
かつての僕は一人静かに波を見ることが好きな感傷的な少年だったのだ

水平線に向かう太陽は
その直前に空全体をオレンジ色に染め
町の建物の色合いさえもオレンジに変えてしまう

そのあと水平線にかかるとさしもの強烈な太陽光もおとなしく
丸い輪郭をはっきりと見せてくれながら海の先へと落ちていく
刹那
太陽は水平線に沿って横に僅かに広がり
まるで巨大な頭と肩が出現したかのような表情を見せてくれるときがある

その太陽を地元の人は達磨と呼ぶが
今日の太陽はまさに達磨だった
息を呑み、その太陽を見ている僕たちは
あまりの風の強さとその風が引き込む寒さに
自然に肩を寄せ合っていた

太陽が没すると、空に占めるオレンジの割合は急速に減じられ
代わって濃紺の夜の空が出現するのだけれど
満ちるしかない今宵の小望月はただ明るく蒼く
僕たちは波頭や石垣とともに月明かりの蒼さに照らされることになった

僕は君を失いたくない・・
それは妻も子もある僕という男の身勝手な想いだったけれど
君がもう決めてしまった以上は僕は従うよりほかに術がなく
だから今宵は二人で過ごす最後の夜になるはずだった

だのに、君ときたら太陽が沈んで寒さと暗さが辺りを覆うようになった頃
突然、こう叫んだのだ
「わたしたち、はじめっからつきあってへん!」
そうして僕の腕の中に飛び込んできた
「別れるなんてありえへん・・ただの友達やもん」

僕ときたら
そのある意味暴走ともとれる君の想いを
受け止めるというよりも一瞬で自分の都合の良いほうに解釈をして
そのまま君を抱きしめることしか能がない
抱きしめたら口づけだ
そして僕は君のブラウスの白い布を脱がしてしまったのだ
レースの下着を捲り上げるとそこには柔らかな形の乳房がある
それは夜の蒼い光の中で
この世のものとは思えぬほどに浮き上がって見えた
息を呑むとはこのことだ

寒さなど関係なく
二人肌を触れ合わせ押し付けあうことで暖かさを感じることができる
もちろん
僕と君は今宵が始めての逢瀬でもなく
僕は幾度となく君を女として抱きしめてはいるが
それでも、今の君はこれまで見たどの君よりも僕の心に染み入るのだ

僕の上着を掛け布代わりに
少なくとも遠目からは君や僕の肌が見えないようにはしていたが
その心配も不要な寒い夜であり
この時刻には釣り人も辺りにみえず
つまるところ大空の下には僕たちだけが蒼い月光を浴びている

小さな肩
長い髪
薄く控えめな唇
思いのほか豊かで形の良い胸
柔らかくくびれたきれいな腰の線
寒さに鳥肌立つ君の胸も
やがては体温で温められ滑らかになる

そのすべてが月の醸し出す蒼い光に
かすかに照らされ
闇の中に浮き上がる
そして僕たちは波の音に抱擁されていく
ベッドではない石垣の
肌や肉を通り越して骨にあたる痛さもまた
かえって僕をたぎらせていくのだから不思議ではある

愛しているなどと月並みな言葉を吐いたその瞬間に
すべてが終わってしまうようなその儚さ
もちろん愛している
だけれども今の僕は君を人生の伴侶にはできないし
君も僕を自分の終生の相手とは認められるはずもなく

世間で言う危ない関係であったにしても
そこに想いの真実もあることを叫びたいけれど
そんなことをしたら二人とも世間にも会社にも居られなくなってしまう
その危うさが実は還って二人を引き寄せることが
いまだに理解できないでいる小望月の海辺

「いやだ。いやだ・・あなたと離れたくない」
「ほしい、欲しいのこれが・・この男が」
君は普段の穏やかさ大人しさをすべて捨て去るかのように僕にささやく
君と僕とはつきあってなどいないはずだったのではないのか

僕はここから先に待っているのは明らかに地獄ではないかと知ってはいる
いや
もう地獄でよいのだ
君が得られるならば

寒く冷たい風が吹き、ブラウスのボタンをすべてはずされ
あらわになった君の胸は豊かな稜線を見せながらも僕をいざなう
その胸の柔らかさ、暖かさを僕は求めていて
その先にある荒海へと漕ぎ出そうとする自分を
なんともおかしく、なんとも情けなく思ってしまうのではあるけれど

僕たちの上の蒼黒く透明な空こそ
僕たちを守ってくれているものであるとは
僕たちはまだ
理解できていないのかもしれない

(銀河・詩手帖256号掲載作品)

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