ホームから階段を下り、改札を抜けるのももどかしく、既に待ち合わせの時間を10分ほどオーバーしているのだ。
焦らなければならない・・
「すみません!」
後ろから誰かが呼ぶ声が聞こえる。
自分には関係がないだろうと、彼はそのまま小走りに進む。
「すみません!待って下さい!」
え?・・俺か?・・そう思い立ち止まった。
息を切らせた小柄な女性がそこに立っていた。
「なんだよ・・俺は急いでいるんだ」
「ごめんなさい・・どうしても・・・」女性はそう言って、肩で息をしている。
「何かの勧誘かい?お断りだよ!」
真吾は投げ捨てるように言って、先へ進もうとしていた。
「勧誘じゃありません・・待って下さい!あなたにお願いがあるのです」
「願い・・なんだよ・・手短に頼むよ」
必死の女性の表情に負けた気がした。
女性は息を飲み込んで、姿勢を正して彼に正対した。
「あなたは私の理想の人です!お付き合いしてください!」
「は?」
「ずっと夢に見てきたんです。お付き合いしてください!」
真吾はまじまじと女性の姿を見た。
どこかに異常な感じがあるようには見えない・・けれども・・いったい何を言ってるのだ・・こいつ・・
「きみ・・いきなり何を言い出すんだ・・ちょっとへんだよ・・頭を冷やして休んだ方がいいよ」
「変じゃありません!あなたが理想の人なんです!」
「俺は今から彼女とデートだよ!じゃあな・・」
真吾はそう言い捨てて女性を振り切った。
そのままエスカレーターに乗った・・女性は今度はついては来なかった。
・・しかし・・小柄で、可愛い子だったな・・
そう思ったあと、慌ててそれを打ち消した。回りを見回した。彼の恋人になったはずの、清水絵里に見られていないか気になった。
エスカレーターを降りた先で絵里が立っていた。
携帯電話で話をしている。
「遅くなっちゃって・・ごめんね!」
真吾は出来る限りの笑顔を作って絵里に声をかけた。絵里は彼のほうをちらりと見たけれど、電話を手放さない。
彼は仕方がなく、所在なげに立っていた。
散々待たされた後、絵里は真吾に向かい、それまで笑顔で電話をかけていた表情を一変させて怒り出した。
「なによ!女の子を待たせるなんて!サイテー!」
「ごめんよ・・ちょっと仕事が・・」
「仕事?仕事のためにあたしとのデートに遅れてくるなんて、今までの男であんたが一番サイテーよ!」
「ごめん・・本当にごめん!今日は全部おごるから」
絵里はそれを聞くとさらに表情を怖くした。
「なに言ってるの!デートだと男がおごるの当たり前でしょ!もう許せない!今日は今からデパートで何か買ってもらうわ!」
絵里はそう言うと、いきなり歩き出した。
ハーバーランドのデパートへ・・その中のブランドショップへ入っていった。
真吾も仕方がなく、あとをついて入っていった。
「これを買って!」
2万3千円の値札がついている。
「分かったよ・・買ってあげるよ・・」
「何を言ってるの?買うのは当たり前でしょ・・あんたが怒らせたんだから」
絵里は店員を呼んでいる。
真吾の財布には今日は3万円が入っている。
「こちらでございますね。在庫はございませんから、現品でよろしいでしょうか?そのかわり少しお安くしておきますが・・」
「ええ!これだけなの!傷はないでしょうねえ・・で・・いくらになるの?」
絵里の問いかけに店員は真吾のほうを見て、とんでもないことを言った。
「そうですね・・1割引かせて頂いて、20万7千円でいかがでしょう?」
真吾は心臓が飛び出しそうになった。
無頓着に絵里が答える。
「展示品でしょ・・もう少し安くならないの?20万でどう!」
店員は一瞬たじろいだように、それでも笑顔を作って答えなおす。
「かしこまりました。20万円ちょうどですね。はい・・それで結構でございます」
そのまま店員は奥のレジへ言ってしまった。
「何してるの?」
絵里は今度は真吾に問う。
「いや・・絵里・・あの・・おれ、そんなに持っていないよ・・」
「カードがあるじゃない!」
絵里はこともなげに言い放つと、知らん顔をして、他の商品を見ていた。
真吾は仕方なく、財布からクレジットカードを出して、レジに行った。
奥で包んでもらったバックをかかえ、真吾が出てくると、絵里は嬉しそうな表情で、けれどもこう言う。
「ふん・・・私が安くなるよう、交渉したんだからね。感謝しなさいよ」
それから彼女は真吾の腕に自分の腕を回し、彼にくっつくように歩き始めた。
真吾の頭の中には支払いの20万円が重くのしかかり、普通に物事を考えられなくなっていた。
彼女はそのまま真吾を、ハーバーランドの入り口にあるホテルに向かわせた。
「ホテルで・・どうするの?」
ぼうっとした頭で真吾が問いただすと・・
「どうするって・・ご飯食べるのに決まっているでしょ!あなた!変なこと考えてるの!サイテー!」
「ごめん・・そう言うわけじゃなくて・・ご飯ね・・分かった」
ホテルに入るとそのまま、彼女は慣れた手つきでエレベーターに乗り込んで、18階のボタンを押した。
彼女が真吾を押し込むように入った店は鉄板焼きの店だった。
「いらっしゃいませ」
和服を着た女性が応対してくれる。
鉄板の向こうには調理師の格好をした男性が笑顔で立っていた。
その向こうは見事な神戸の景色が大きな窓一杯に広がっている。
「お任せでお願いね」
絵里が店の女性に注文をする。
いきなり、材料が並べられ、鉄板焼きが始まる。
「しまった・・」
この店はいったい、いくらするのだろう・・真吾にはそればかりが気になってきた。
高級そうなエビや魚や牛肉が惜しげもなく焼かれ、目の前に出てくる。
「おいしいねえ!」絵里はご機嫌だ。
真吾は味も分からない。心臓が重い気がする。
数時間後、疲れ果てた真吾は、絵里と別れて神戸駅の改札口を入っていこうとしていた。
結局、鉄板焼きで25000円、お茶代が2000円・・真吾が支払った。
「私もおごるわ!」
そう言って、絵里が唯一、今日お金を出してくれたのはスタンドのアイスクリームで、これは一つ200円ほどのものだった。
真吾は改札を抜けて、下り電車のホームへ行く階段を上がろうとしていた。
全身に疲労がたまっている。
カードの支払いの目処は立っていない。
絵里とはこれで3回目のデートだったけれど、ずっと金を使うことばかりしていた気がする。
遊園地や映画館では真吾がお金を出してもごく普通の気分でいられたし、そんなに高いものではなかったし・・だからその時には分からなかっただけなのだった。
「そういえば・・・いつも圧倒されて・・」
放心状態の真吾は、絵里とうまくやっていける自信をなくしつつあった。
真吾から見て絵里は憧れのタイプだった。きれいで明るくて、垢抜けていて、絵に書いたような美人に見えた。
友人が主催するコンパで出会い、一番目立ったのが彼女だったけれど、その彼女が付き合う相手として真吾を選んだ。
今までの2回のデートは映画と遊園地で、今日のように絵里が金を使わせることはなかった。
彼女は市内の女子大に通っているという。
真吾にはブランドのことは分からなかったけれど、たぶん絵里はブランド物しか身につけていないのではと、勘ぐってみたりもする。
「すみません!」
階段を上る真吾は後ろから声をかけられた。
「今まで待っていました!お願いです!お付き合いしてください!」
さっきのの女性が泣きそうな顔で立っていた。
「あの・・困るんだよね。いきなり・・」
真吾は呆れてそう言ったけれど、飾り気のない女性が必死で頼み込んでいる・・少し話を聞いても良いような気がした。
「おねがいです!あなたをずっと待っていました。おねがいです!」
真吾は息を飲み込んで、気持ちを落ち着かせた。
「なんだか知らないけれど、話だけは聞いてもいい・・」
「ほんとですか!ありがとうございます!わたし、実はずっと・・」
「あの・・ここでは人がたくさん見ているから、ホームの端に行こうよ」
真吾は彼女をプラットホームの先、長い編成の電車が来る時にしか、乗客がここまでは、やって来ないようなところへ彼女を連れて行った。
北風が吹いて寒い。
夜の暗がりの中、彼がさっき、馬鹿高い夕食をさせられたホテルも見えている。
電車がヘッドライトを照らして、こちらへ向かってくる。
「何で、俺をつけまわすのかな?」
真吾は女性に尋ねた。
「すみません・・でも・・でも・・信じてください。あなたじゃなきゃダメなんです」
「だから・・どうしてだよ・・」
「夢なんです」
「夢?」
女性は必死に彼にすがり付いてくる。
可愛い子だし、変な勧誘じゃなければいいんだけど・・さっきまでいたホテルの鉄板焼きは、あの建物のどのあたりだろう・・そんなことを思いながら、それでも必死の表情で迫る彼女をからかいたくなってきた。
「あんたの目的は?」
出来るだけ、意地が悪そうに聞いてみた。警察が尋問する時のように・・
「幸せです!」
「??・・俺と付き合えば幸せになれるの?」
「はい!」
「どうして?」
「夢です!昨日の夢なんです!」
「夢ねえ・・」
「わたし、夢の通りにしたら、絶対いい方向に行くんです。ゆうべ、あなたがそのままの格好で、夢にでてきたんです!だからわたし、今日は絶対あなたに会えると思ったんです!」
真吾は女性の目を見て立ち尽くしてしまった。
・・この子・・変なのか?・・
「わたし・・変じゃありません!夢の通りにすることだけなんです!」
「そんなことが今までにもあったの?」
「はい・・会社も夢で見た百貨店になったし、売り場も夢の通り、夢の通りなんです」
「百貨店にいるの?」
「はい・・あ・・ごめんなさい!わたし、キタノブコです。東西南北の北、信じるに子で・・北信子です。お願いです、お願いです・・私と付き合ってください!」
真吾は少し、落ち着いてきた。
言っていることは無茶苦茶な信子の、しかしそれでも何か納得するようなものを感じてはきた。
「僕には彼女がいるんだ。・・だから君とは付き合えないよ」
「大丈夫です!あなたは彼女と別れます。っていうか、そのうちに連絡もなくなります」
「勝手にきめるなよ・・折角、今、あいつに22万7千円使ったばかりだよ。そんなに急には別れられないよ」
そう答えながら、もう自分が絵里と別れることを考えていることに驚いた。
その時、真吾の携帯電話が鳴った。
「はーい!真吾!私よ・・絵里!今日は楽しかったね!また遊ぼうね!」
一方的にそう言うと、電話は向こうからきれた。
「彼女でしょ・・」
信子が訊く。
「ああ・・」
「もう電話はありませんよ・・たぶん・・」
「どうしてそれが分かるの?」
「さあ・・なんとなく・・」
真吾は頭に来て、電話を彼から絵里にかけた。
留守番電話になって、出てはくれない。
「ね・・気にしなくていいんですよ・・」
満面の笑顔を作って信子が真吾を見る。
真吾は溜息をつきながら、もう一つ、意地悪な質問をしてやろうと思った。
「じゃあ・・君と付き合うって、どんな風に付き合うんだい?」
信子はきょとんとして彼を見ている。
「俺は今すぐにでも、セックスの出来る付き合いがいいんだ」
信子は表情を変えない。
「無理してはいけません・・」
「え?無理?」
「あなたはまだ、女の子を知らないでしょ・・そんな無理をしては疲れるだけです」
真吾は一瞬、後ずさりしそうになった。何でこの子はそんなことまで分かるんだ・・
「何を言う・・女の子なんて何人も知っているさ・・」
「ダメですって・・あなたは全く知らないはずです・・無理をした青春は疲れますよ」
「じゃあ・・君は男なら手玉にとるような女なんだ」
信子は頬を赤らめた。
「そんなことないです・・私だって・・知らないのですもの・・」
真吾はそれを見て笑った。信子も照れたように笑った。
「君は面白いなあ・・俺はミナミシンゴ・・方角の南に真剣の真、吾は漢数字の五の下に口だ」
名前を教えてやると、信子の表情が感動の表情になってしまった。
「やっぱり・・やっぱりそうだったのですね!北と南、シンゴと・・私の名前もシンコって読めるでしょ・・やっぱりそうだったのです」
真吾が見ると信子は感極まって涙を流していた。
・・俺のところに来る女は・・変なのばかりだなあ・・真吾は妙に納得しながら、どういう訳かやってきた新快速電車に二人で乗り込んでしまった。
次の停車駅は明石であるという車内放送が流れる。
「え・・なんで・・俺・・この電車に乗っているの?」
「今から、明石に行くの!船を見に行くの!」
信子は混んだ電車の中でいたずらっぽく笑った。まだ、涙は乾いていなかった。
明石駅で電車を降りて、信子はゆっくりと、時折、真吾のほうを見ながら歩いている。
商店街を抜け、漁船が係留されている運河にかかった橋を渡る。
「信子さん・・」真吾は信子に声をかけた。
「はい・・ノブコって呼んで下さい」
「じゃ、信子・・君はいつも絶対に夢の通りにするわけ?」
「いつもじゃないんです」
「夢は絶対なんだろ?」
「いいえ・・目覚めた時に、なんだか暖かい気持ちになるのが、いい夢で、寒い気持ちになるのが悪い夢で・・」
「いい夢だとその通りにすれば良いのかい?」
「そうなんです・・悪い夢の時は・・こうしちゃいけないって言う・・神様からの御言付けだと思っています」
神様・・新興宗教かな?真吾はちょっと身構えた。
フェリー乗り場にはちょうど船が一艘入っていて、クルマが乗り込んでいくところだった。
二人は乗り場の右側の、店や住宅が並んでいるあたりに立った。
「信子・・君は何か宗教をしているの?」
「宗教?」
「さっき・・神様って言ったじゃないか・・」
信子はここに来てから、ちょっと楽になったようだった。
おっとりとした喋り方になっていた。
「宗教は、特にはもっていないのですけど、私には、私の神様が、宇宙から見てくれているって・・勝手にそう信じています」
港の波はやんわりと上下し、船もかすかに揺れる程度だ。
港といっても、さして大きくなく、周りの明かりも少ない。
遠くに明石海峡大橋のライトアップされた姿が見える。
「宗教を持っていないのに・・神様か・・面白いね」
「本当は神様って、宇宙そのものじゃないかって思うんですよ。それを人間が色々な形に考えただけじゃないかって・・変ですか?こんな風に思っているの・・」
信子は屈託なく、真吾を見ていた。
「変じゃないし・・とても素敵だと思う」
「素敵?本当ですか?」
「本当だよ」
二人はのんびりと歩き始めていた。駅のほうへ向かう道をゆっくりと歩く。
「君はどこに住んでいるの?」
「西明石でお母さんと住んでいます」
「ふうん・・僕は垂水駅からちょっと歩いたところのマンションだ」
そう真吾が言うと、信子は頷きながら「やっぱり・・」という。
「やっぱりって・・知っているの?」
「夢の中に、垂水駅から二人で歩くシーンが出てくるんです」
「なるほど・・」
もう、真吾は素直に信子の夢を信じるようになっていた。二人は運河にかかる橋の欄干に身体をもたらせて係留する船を見ている。
船はひっそりと静まり返っている。時折、車が橋を通過していく。
「あの・・」
信子が真吾のほうを向いた。
真吾は黙って信子の身体を引き寄せて、唇を合わせた。
ぺったりと唇が合わさる感触が不思議だった。
「やっぱり・・」真吾が信子の肩から手を離すと、信子の目が潤んでいるのが分かった。
「神様の言うとおりにして・・よかった・・」
「キスも夢に見たの?」真吾は少し頬に血が上ってくる感触を味わいながら、信子を見ている。
「はい・・ゆうべです・・」
嬉しそうに、信子は答えていた。
翌朝、真吾は絵里の携帯電話に電話をかけてみた。
「おかけになった番号は・・」味気のない機械の女性の声が聞こえる。
諦めた。
・・あの女、ああやって、男を漁っては何かをせびり倒すんだろうなあ・・
そう思った。腹が立つよりも、乗せられた自分が情けなかった。
しかし、昨日、信子と不思議な出会いをした。
夢がどうのと言うのは、正直言って合点が行かないが、信子本人は可愛くて、女の子らしい性格で、かえって良かったような気がした。
初めてのキスが新鮮だった。ペたっという感触が、あんなものだろうかと不思議な気もした。
昨夜は明石駅で別れた。
お互いに電話番号を交換したし、信子は彼の家の場所も詳しく訊きだしてきた。
今日は彼は休みだった。
出かけようにも小遣いを使いきってしまっているから、どうしようもなく、射し込む朝日に、このまま寝ていようと腹をきめた。
昼まで眠った。
けれども、昨日会った信子に会いたくなってきた。
彼女は三宮の百貨店にいるという。
三宮駅前の老舗百貨店の地下、お菓子売り場に信子はいた。
売っているものが、結構、高級志向のお菓子で、販売と同時にほとんど必ず熨斗紙をつけ、表書きをしなければならない。
何人かのお客が続いて、ようやく一息ついたとき「信子さん」彼女を呼ぶ声が聞こえた。
真吾が照れたような笑顔で立っていた。
「来て下さったんですか!」
照れた表情を隠せず、うんと頷いて「今日は何時まで?」と真吾は訊いた。
「今日は早番で、4時までなんです!」
嬉しそうに彼女が答えた。
「もう少しだね・・阪神の改札前で待っているから・・」
真吾はそれだけを言うと軽く手を振ってそこを離れた。
信子の同僚が彼女をからかう様子が見えるような気がした。
信子は、嬉しかった。
正直、昨日必死で彼を射止めたものの、本当に続いてくれるかは不安だったのだ。
「今日は、俺が来る夢は見たかい?」
三宮の歩道橋で真吾は信子に訊いた。
「それが・・」
「見なかったのかい?」
「はい・・」
「じゃ・・どうしよう?」
「きっと大丈夫です・・一緒にご飯食べましょう!」
信子は頬を赤くして、きれいな笑顔を見せた。
三ノ宮駅の売店の横を通り過ぎた時、真吾は見たことのある顔を見つけた。
売店に売り子の格好をして立っているのは・・間違いない・・絵里だ。
「ちょっと待ってね・・」
信子にそういい、彼は売店に向かった。
「すみません!缶コーヒー!」
忙しく立ち働く絵里にそう声をかけた。
「そこの扉、開けてとってくれる!」
つっけんどんに叫ばれる。
「分かりました・・絵里さん!」
え・・絵里はまじまじと真吾の顔を見た。
「こんなに目立つ場所で働いているのなら、あまり悪いことはしない方が良いよ」
「あの・・」
真吾は缶コーヒーのケースから自分で商品を取り出して120円を置いた。
「アルバイト?」
「いえ・・」
「社員なんだ・・もう少し愛想を良くしないと会社の評判が落ちるぞ!」
絵里は凍りついたように立ちすくんだまま、それでも真吾が差し出した小銭をレジに入れていた。
「じゃあな!いいオトコ、見つけろよ!」
真吾は大声で叫んでやった。
そのままそこを立ち去ろうとすると、絵里が叫んだ。
「バック・・ありがとうね!」
真吾は軽く手をあげて分かったよと、合図をしてやった。
なぜか憎めないな・・あいつは・・
そう思った。
信子が待っていた。
「彼女だった・・人?」
「うん・・」
「彼女のことが好き?」
不安そうに訊く信子に、真吾は大きく首を振って答えた。
「まさか・・」
その日、帰りの電車の中で、二人は前向きのシートに並んで座れた。
今日は真吾は彼女の家まで送るつもりでいた。
電車が発車してまもなく、信子が真吾にもたれかかってきた。
見ると、眠ってしまっている。
・・安心したのかな・・昨日も必死だったんだろうなあ・・
真吾は少しおかしくなった。
西明石駅で降りて、彼女の家へ向かう道、駅を出て暫くして彼女はこう言った。
「今ね・・今さっき・・夢の中で、ラーメンを食べて、ぶらぶら歩いて、電車に乗ったの・・」
「今日の行動パターンそのものじゃないか・・」
「そう・・夢の方があとからきたみたいです。・・神様も真吾さんのスピードにはついていけなかったみたい・・」
二人は顔を見合わせて笑った。
お金がないから、ラーメンにしたけれど、美味しかったし、神様も認めてくれた・・真吾はそう思った。
肩を寄せ合って、ゆっくり歩いて、もう少しで信子の家に着くというとき、信子が急に思い立ったように言う。
「あのね・・ちょっと・・お顔を貸してください」
ん?真吾は信子のほうを見た。
信子はあたりを見回してから、真吾に抱きついてきた。
いきなり口を寄せてきた。
「本当のキスって・・こうするんですって・・」