友達から誘いを受けて、神戸電鉄の終点近くにある車庫へ、メモリアルトレインという名の復刻塗装電車を見に行った。
今年の夏は暑く、現地の気温は35度を超えていた。
めまいがしそうな真昼間だ。
そこに2編成の電車が鎮座していて、一編成は明るい緑色が主体の変わった雰囲気の電車で、これは僕が子供の頃に、鵯越の祖母宅へ頻繁に連れて行ってもらった時、旧型電車に塗られていた色だ。
そしてこの日デビューしたという、灰色の車体に窓回りを朱色に塗った電車は、僕の青春時代、まさにこの電鐵がこの色合いばかりで走り回っていた・・・あの頃を思い返す電車だった。
話には聞いていたし、だから今日はそれが完成した記念の式典ということなのだが、実物を見た瞬間、様々な思いがこみ上げてきて、少し、あの頃を思い返すと精神的にもろくなる僕には、暑さ故だけではなく、眩暈がしてきていた。
この日、僕が思い出したのは、昭和61年12月28日、冬の強烈な季節風の中、撮影を続けていた神戸電鉄の電車と、そのすぐ後に三宮で会った君や君の友達たちとの、ちょっと小洒落たバーでの楽しい時間。
そして、そのあと、国鉄三ノ宮のプラットフォームで、向かいのビルに映し出されていた電光掲示板のニュース。
「本日、兵庫県香住町の国鉄余部橋梁で、7両編成のお座敷客車が強風にあおられて転落、列車の乗務員と列車が転落したカニ工場の従業員たち多数が死傷」
え・・
東へ帰る君たちに手を振りながら、僕は気が遠くなるのを感じていた。
当時、国鉄にはお座敷客車は多数あったが、7両編成というのは僕もチームの一員となって手掛けた「みやび」だけだった。
僕はこの客車の仕事を最後として、国鉄を退職した。
自分にとって最高の記念となる車両が完成したという自負もあり、これで国鉄を退職してもいつでも自分がそこにいたことを記念に思い返すことができるというものだった。
だが、君と心から寛ぎあうことができたこの夜に、僕は自分の人生での記念碑を一つ失ったということになったわけだ。
神戸電鉄の復刻塗装電車は、様々な思いを見る人に与えたのかもしれない。
僕の幼年期、このカラーの電車は急行用であり、鵯越には停車せず、いつも薄汚れた感のある旧型電車の「普通」に乗せられていた思い出も蘇る。
その鵯越も僕や先ごろ亡くなった母にとっては良い思い出の地ではなく、人間の勝手さと狡さ、そして自分たちの運の悪さを思い知らされるところでもあった。
だが、幸いに僕は長じて鉄道ファンとなった。
国鉄を退社しても鉄道ファンであることは変わらなかった。
辛い思い出しかない電車も、ファン目線で見れば美しく輝いているわけで、だから、君と打ち解けることのできたあの日にも、神戸電鉄の撮影をしていたのだ。
車庫でのイベントで見せてもらった復刻塗装電車だが、そのあとの運転を撮影しようという気にならなかった。
暑さ、寝不足、そして一気に押し寄せてきた思い出が、僕をその場に留めることを許さなかった。
正直、吐き気がするほどの苦痛が襲ってきた。
そして、昨日、今の仕事としているタクシーの乗務中、切ない思いに責められ苦しんだ。
君と一緒に乗ったのは、阪急・阪神、そして広電と広島のJR電車だ。
神戸電鉄で君を思い出して苦しむのは、これは自分では間違い以外の何物でもないが、自分の心など自分ではコントロール出来っこなく、結局、君への思いに苦しめられ続けることとなる。
そういう経験があるから小説も書けると・・友達は言ってくれる。
恋愛で苦しんだ人は誠実さで多くの人から好かれると言ってくれる人もある。
だが、小説など書けなくていい、君と繋がりあえる環境があるなら、ほかに必要なものなどあろうか。
別に、たくさんの人に好かれなくたっていいかもしれない、ただ、君がそこにいてくれれば、それに勝るものなどあったのだろうか。
本当に大切なものを、さして大切ではないものと比較して、間違えた選択をして、君を苦しめ、君を泣かせ、そして結局、お互いが離れていかざるを得ないそのきっかけを作ったのは、まぎれもなく僕自身だ。
妻がいて、娘がいて、僕は家族を愛している。
そこに何の不満もないはずではある。
ただ、友達としてでもいい、君との繫がりを持てていないこと以外は・・・
今日、勤務明けで、なのになぜか眠れない切れ切れの夢の後で、ふっと自家用車を走らせ、神戸電鉄粟生線の線路際に行った。
やはり、もっと見ようと思ったのだ。
あの、復刻塗装の電車を…
そして緑の中、まさに、あの頃の姿となった電車が僕の前を軽やかに走っていく。
その姿を見たとて、何かが変わるわけではないのだが、吹っ切ってはいけないものも世の中には、あるはずだと、そう思うことにした。
生きている間に君に会うことができるだろうか・・
そして、少しでも君との時間を持つことがまたできるのだろうか。
何故か、君との接点のない神戸電鉄の電車が思い起こさせてくれた切なさに感謝しながら。