story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

別府のべんとばこ

2018年04月13日 18時11分24秒 | 小説

14別府鉄道キハ2別府口入構

陽電車別府(べふ)駅の築堤下に見える、少し離れた二つの線路

それが「別府鉄道」という現役の鉄道路線であると、気が付いたのは引っ越しも済んで数週間が経つ頃だった。
というのは、僕はテレビニュースなどで地方の私鉄がどんどん廃止になっていく様子を見ていてそれが記憶に残っていたものだから、この路線もそういった廃線跡なのだろうと勝手に想像してしまっていたわけだ。

ある時、神戸へ行く母に同行していて、山陽電車のホームの下を緑とクリームに塗られた可愛い単行列車が走っているのを見た。

その山陽電車の別府駅ホームというのは不思議なところで、神戸と姫路を結ぶ私鉄である山陽電鉄と、その並びに当時、岡山まで開通していた山陽新幹線、そして山陽電車を潜っていたのが、昭和48年当時とて時の流れから置いてけぼりにされたようなクラシックなローカル私鉄という、今思えば鉄道ファンには堪らない場所だったのだ。

その時に見た小さな気動車は、これまたテレビか学校の掲示板に貼られていたニュース写真で見たことのある「マッチ箱電車」をイメージさせてくれた。
だが、どう見てもマッチ箱というより少し大きそうだ。

翌日、転校したばかりの中学校で仲良くなっていた隣席の「さつき」さんに小さな列車のことを訊いてみた。
「あんた、別府鉄(べふてつ)も知らんの??小学校の時、遠足で乗ったわよ」
あっけらかんとそう教えてくれた、肩までのきれいな黒髪のさつきさんに見とれ、それでも僕はこう聞いたものだ。
「マッチ箱電車って感じやんな」
すると、さつきさんはニコッと笑顔を大きくして楽しそうに言う。
「あれ、マッチ箱言うにはちょっと大きいやろ、わたしら、別府の弁当箱(べんとばこ)ゆうてるねんよ」
「へえ・・べんとばこ、うまい事言うなぁ」
「別府のガッタンとか、ケーベンっていう人もあるわ」

その時はそれで別府鉄に関しての会話は終わったけれど、この鉄道にぜひとも乗りたくなるのは鉄道ファンの卵として当然だった。

かつて海辺だったころは見事な白砂青松の景勝の地だったろうと思われる別府の、松林の中にある古臭い社宅では、母はいつも誰かとしゃべっていて、弟妹達も線路際で電車を眺める僕の趣味は理解できない。
ある日、日曜だったと思うが、まだ田畑が広がり、畦脇にはにはきれいな水が流れる別府の街を散歩していた。
田圃の向こうに新幹線と山陽電車が一緒に見られるのは嬉しく、引っ越す前に2年住んでいた大阪・泉大津では南海電車にも家からは遠かったし、4年住んだ天保山では地下鉄は高架の高いところを走っていたから、今ここで疾走する山陽電車の特急を眺め、その上に覆いかぶさるように、走るというよりも飛んでいるかのような新幹線の丸い電車を眺めるのは、楽しいことだった。

そのとき、田圃でなにやら探していたらしい女の子が僕の方を見た。
さつきさんだった。

「井野田くん、どこ行くん??」
甘い声で人懐っこく近寄ってくる。
この人懐っこさというのは、僕が泉大津にいた頃の僕の周囲ではなかなか感じられなく、天保山にいた頃には、僕はその真っただ中にあったように思う感触だ。
加古川の人は人懐っこく、屈託がない・・
そして、それがまたクラス一番の美少女と来ているから、これまた僕には嬉しいことだ。

「うん、することないから散歩・・さつきさんは、何を見てるの??」
「レンゲ摘んでるの、髪飾り!」
彼女はレンゲで作った輪を頭の上にのせて楽しそうに笑った。
その時、山陽電車の特急と新幹線の列車が並んで突っ走った。

僕は一瞬、我を忘れてそれを見ていたようだ。
「井野田君、電車がすきなんやね」
「あ・・うん」
僕の頬は少し紅くなっていたかもしれない。
「こないだ、別府鉄のこと、聞いてきたもんね」
「うん・・・」
頭にレンゲの花輪を載せてさつきさんは近づいてきた。
「ね、乗りたい??」
「なにに?」
「別府鉄よ、別府のべんとばこ、別府のガッタン」
美少女が自分に迫る。
こういう時の女の子というのは、どういして小悪魔的な雰囲気なんだろうと、僕はこれを書いている今でもそう思う。
「そりゃぁ」
「ね、100円持ってる??」
「それくらいあるけど・・」
「じゃ、乗りに行こうよ」
思い切り笑顔でそう誘ってくれる彼女にちょっと気おくれして後ずさりする僕。
「なんや、乗りたくないんや」
「いや、そんなことあらへん・・連れてってよ」
これは当時の僕としてはかなり勇気の必要な発言だった。
女の子と一緒に歩くなんて、天保山時代の小学校3~4年くらいのことだろうか。


楽しそうに花輪を頭に被せたまま、さつきさんは歩く。
僕は彼女の友達の話などを聞きながらついていく。
「とんび!」
彼女が指さした空に立派な鳶がゆったりと舞っている。

15分ほども歩いただろうか、大阪港を思い起こさせる倉庫や工場が集まっている一角の中ほどに小さな駅舎があった。
だが、そこが大阪とは違うのは、駅のすぐ近くに田圃があったことだ。
別府港駅と、簡単で分かりやすい看板が駅舎にかかる。

駅舎の中へ入っていって二人で時刻表を見上げる。
「土山行きと野口行き、二つあるんやね・・」
「うん、土山に行ったら帰れなくなるから野口行きや」
その野口行きはちょうど20分ほどで次の列車が出る時刻だ。
「野口まで大人二枚」
さつきさんは、「大人」にウェイトをかけてそう言う。
(僕たちはつい先月まで小学生だったのだ。)
小さな駅なのに、帽子に赤線が入っている駅員さんが苦笑しながら、鋏を入れた固い切符を出してくれた。
確か、80円くらいだったように思うが、僕は普段、私鉄しか使わなかったので関西ではこういう硬券は珍しく、自分で買ったのは初めてだった。

ホームに出ると目の前に停まっていたのは、先日、山陽電車のホームから見たあの可愛い緑とクリームの単行列車だった。
ガランガランとエンジンの鳴る音、まるで臨港線の機関車みたいだと思いながら、案外広い構内を見渡すと、確かに臨港線のような機関車やたくさんの貨車も見える。
時折、青い機関車が貨車を繋いだり外したりしながら行ったり来たりする。
「これこれ!」
僕らはまだ誰も乗っていない車両に乗り込み、油引きの匂いのする木の床を歩き、深緑のビニールレザーの座席に腰掛ける。
床は中央で盛り上がり、木材が器用に曲げられて微妙な曲線を描く。

別府鉄道野口線の単行気動車列車の発車時刻近くになると運転士が物憂げに乗り込んできて、後ろのドアからはネクタイを締めていない車掌が乗り込む。

いや、当時の僕には「気動車」などという言葉はなかったはずだ。
すべて都会生まれの僕には「電車」だった。


単行の古びた気動車列車は、やがてゆっくりと発車するが、当時のバスのようにクラッチを切り替える。
やがて速度が出た列車の、あけ放たれた窓から春の匂いも小さな昆虫も飛び込んでくる。
ガタガタと揺れて、ポイントを渡る。
「あははは」
さつきさんは、屈託なく、遠慮なく、座席に座りながら足をバタバタと上げ下げして、スカートをひらひらさせ、そしてその横の僕は心の底ではとても驚いていながらも、たぶん周りから見れば難しい顔をして、ビニールレザーのロングシートに座っていたのだろう。

今の加古川市別府町、野口町あたりを列車は走るのだが、今では考えられないほど外の景色は長閑で、明るい播磨の風情そのものだった。
エンジンの音を立てる割には大したスピードは出ず、激しく揺れて吊り輪が荷物棚にぶつかってカッチャカッチャという音が絶え間なくする。
別府鉄道野口キハ2進入


駅と駅の間隔は短くて、走りだしても1~2分で次の駅に着いてしまう繰り返しなのだが、始発の別府港からは僕らのほかには誰も乗らなかったのに、一駅ごとに乗客が増えていく。
10分ほど走る終点までにはお客は10人以上になっていた。

「着いたで」
さつきさんに促されて、ホームに降りる。
車掌に切符を渡そうとすると「加古川駅で」などという。

着いた駅はこれまた田圃の中の茫洋とした景色の中、でも線路の外側には巨大な市役所の建物が見える。
やがて、国鉄の気動車が2両連結でやってきた。

別府鉄に乗ってきたほかの乗客は皆、国鉄の気動車に乗り換える。
田圃の中の、茫洋とした乗換駅に二つの列車が停車し、その間を何人もの乗客が行きかい、そして片方の国鉄列車が発車していく不思議な景色を僕は驚愕の想いで見ていた。

さつきさんは、「ふ~ん」というような表情で列車を見送る。

「あれ、国鉄に乗らへんかったんか?」
別府鉄の車掌が怪訝な顔をして僕らに向かってくる。
「うん、歩いて帰るねん」
「ほう・・そうか、ほなら切符は返してもらうわな」
車掌はそういって切符を出せとばかりに掌を向ける。
「うん、おおけにな」
さつきさんは手慣れたようで、車掌の手のひらに切符を載せ、僕にもそれを促す。
僕は別府港の駅で買ったかっこいい固い切符を取られてしまうのが少し悲しい。

「気ぃつけて、いねよ」
車掌がそう言うのを「うん」と元気よく返事をしてさつきさんは僕の手を引いて改札も何もない駅から外の道路に出た。

「なぁ、ここから歩いて帰るん??」
僕は少し不安になって、さつきさんに訊いた。
「ここ、まっすぐ下りたら尾上やねん、ほな、そっからやったら、左に歩いたら浜の宮やろ、すぐやん」
彼女はいかにも大丈夫なように言う。
けれど僕には右も左も、下りるといっても坂道らしいものもない平坦な道の何処を下りるのか、不安なままで彼女の後をついていくしかない。
(下りるというのは南へ向かうこと、上るというのは北へ向かうことというのは後になって知った)

今思えば、旧野口駅から山陽電車の尾上の松駅までは1キロ半で、歩いても20分ほどだったのだろう。
だが、高砂線の廃線跡が道路として整備されている現在とは違い、ときに曲がりくねりながら、見知らぬ道を歩く20分はきつい。
最初は持っていたレンゲの花輪をかぶり元気にしていた彼女も、やがて無口になってきた。
僕もさすがに「この道でホンマに帰れるんか」と心配になったころ、山陽電車の踏切が見えた。
「ほら、ここ、尾上やん」
彼女はやっと明るくそういうが、それでもそこから学校のある浜の宮、さらにその先の別府町まで行かねばならない。

やがて、空が暗くなってきた。
学校近くの神社の松林が見えた頃には二人とも口もきかず、ただ黙々と歩く。
学校を通り過ぎ、小さなアパートの前で彼女はふっと振り向いた。
「うちとこ、ここやねん、またな!」
「ああ・・ここなんや」
「今日のことはみんなには内緒やで・・うちら付き合ってるって言われるさかいな」
「あ・・ああ・・」
「楽しかったわ、井野田君!!」
そういって彼女にアパートの玄関先で手を振られると、そこからは僕一人だ。
さすがに自宅までは歩いて10分ほど、迷子になることもなかったが帰宅したころには日が暮れていた。

古臭い社宅の引き戸を開ける。
「ただいまぁ」
「こうちゃんか!どこいっとってん!ほんまに・・」
母の甲高い、イラついた声が台所の方から聞こえた。
「いや、あの・・別府のべんとばこ・・」
「べんとばこに乗って、帰りの電車賃がなくなって歩いて帰ってきたんか!」
すっかり見透かされた僕は、母の洞察力に恐れ入ったが、ただ、さつきさんと一緒だったことだけは言わなかった。
「ふろ、沸かしてんか!」
母は台所に立ったままそこから大声で僕に命じる。

僕は五右衛門風呂の焚き付け場で、マッチと新聞紙、オガライトを無造作につかんでしゃがみ込んだ。
さつきさん、可愛いなぁ‥
叱られたのに嬉しい夕方だった。
別府鉄道野口ホームとキハ2

(本作は作者の思い出を繋ぎ合わせたフィクションです)


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2 コメント

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過ぎ去りし思春期 (猫宮とらお)
2018-04-19 19:14:59
こんばんは、
何だかあの当時は女子の方がませていて、

>今日のことはみんなには内緒やで・・
>うちら付き合ってるって言われるさかいな

のセリフにそれが集約されていますね。
小生も今、中学同窓会関係世話役をしてまして、
当時の「さつきさん」達も結構な(初老の)婆さん化して
まして、懐かしいやらゲンナリするやら(苦笑)
返信する
ですね~~ (こう@電車おやじ)
2018-06-04 22:49:14
今も昔も実は女性の方がはるかに強いのでしょうね~~
返信する

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