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於竹さんをアクリルで描きました。
「お竹さんを描いてもらうのが夢なんです」と物語ってくださった方とお会いしたのですが、その方の似顔絵を面相で描くので精一杯でした。
「夢は…」「夢とは…」「夢という字は…」などなど色々な仮説や定義などがあるのかもしれませんが、叶わないときが一番幸いなこともあるのかもしれないと思いました。
補足:また、意地悪な人を生み出しかねない言い回しになってしまいました。嘘つきと言わせて一人にさせる意図は全くありません。
カッコの「さん」は、その方たちだけが愛着を持って使える呼称で、私に描いてほしかったのはさんづけできないものです。添付したアクリル画は、人としての「お竹」を、人間の絵として描く、所謂似顔絵と同じ方向性の作品です。
さらに補足:最初の「さん」は厳密には失礼なので、敬称略と毎回書かねばならないのかもしれませんが、さんづけして載せてしまっています。
これでも伝わないのなら、「なでその方のさんづけは失礼に当たらないのですか?」という問いがでてくるのかもしれませんが、そうであるなら、「山のような方でした」と理解していただければと思います。
もし、文章の難点に焦点をあてたいのでしたら、私は「理解しても描けない」「描けたものを理解しようとするのが、批評家」という、深くはない考えをもっていますので、「理解できない文だ」の無理解の「文」を略して批評したときに、嘲笑が起こる危険性があるで、「簡略的に書けない人だ」つまり「馬鹿だ」としたほうが適切に思えます。さらにあえて言えば、当たり前ですが、勝手に簡略化したとき文章の責任はいっさい負いません。
また冗長な口語になってしまいました。