島原城ができるまで、島原藩主がいた 南島原市北有馬の日野江城へ出かけました。ここは昨年 とても話題になった場所です。
すでに廃城から400年近く建つので、天守閣はおろか 建物は何も残っていませんし、復元もないため ただ石垣があるだけです。更に ここに植樹し公園化しようとした 当時の町が、国の史跡であることを知ってか知らずか造成し、「大目玉」を食らったのが昨年の初め。誰もいない城跡を散歩すると、造成がストップし なんだか物々しいブルーシートが被せてある辺りに、問題がありそうです。
ここがなぜ史跡になっているか?ですが、ここから城主がキリシタン大名だった頃の遺構が発掘されたのが理由のようです。人間からは忘れられても、動物たちには楽園のようで、アチコチに”自然との共生”を唱える看板を目にします。
更に散策していると突然 案内板が現れ、町のアチコチに キリスト教関連の遺構があり、天正少年遣欧使節も学んだセミナリヨ(神学校)まで明記されています。セミナリオは当時、京都とこの場所の2ヶ所にしかなかったと知って、知の先端地だったのかーと感動してしまいました。
現在 城跡から海の方を見下ろすとのどかな風景が広がっています。ちなみに 島原の乱や天草四郎で有名な 原城ですが、日野江城の支城(出先)として使われ 400年前やはり廃城したあとに キリシタンが立て籠もったという因縁があります。
島原の乱で一掃されたキリスト教が、その後 再び根付くのは並大抵のことではありませんが、関連する遺構だけは、世界遺産候補リストに載って今後スポットライトを浴びる日が来るかも知れません。