神川町神上から柳谷へ抜ける山道に、2つの集落があります。
初めてこの辺りを巡ったのは、京都大学や関西学院大学などの社会学実習のお手伝いをしてから、学生たちのフィールドワークで一緒に訪れてからだと思います。
その時から、山寺権現伏拝の存在は知っていたのですが、10年以上経ってから行ってみました。
集落の入り口から、川を渡って山手の道を右に折れ、熊野市指定準文化財 天然記念物ニッケイの大木と案内看板を通り過ぎ、そのまま山道を進みました。
軽トラックが入って行けるぐらいの幅があり、途中でUターンするように集落方面に向かって登っていくと10分足らずでつきました。
軽トラックが入って行けるぐらいの幅があり、途中でUターンするように集落方面に向かって登っていくと10分足らずでつきました。
鳥居をくぐり石段を登ったところ
山大神 と文字が彫られた石を祀っています。
山大神 と文字が彫られた石を祀っています。
そしてその隣には、
山之寺遥拝所 の文字が刻まれた石があります。
こちらは鳥居を過ぎた左側にあるお地蔵様
なんとめちゃくちゃ大きく笑っているお地蔵様です。
なんとも明るい表情
石積みや3箇所から訪れることができるようになっている場所から、とても地域で大切にされてきたことがわかります。
不思議な伝承も残っています。
不思議な伝承も残っています。
三重県熊野市立神上小中学校のホームページから抜粋
もっと知りたい!神川町 (伝説・説話等)
神川町神上字奥地から碇谷へこえる小さな峠に山寺権現伏拝(ふしおがみ)と称する小祠があります。昔、碇(いかり)尼寺の尼さんが近くの谷川で水を汲んでいると、不意に一体のご神像が天降ってきて手にしていた柄杓(ひしゃく)につきあたりました。
尼さんはびっくりして思わず「ああ勿体ない」と叫ぶとともに直ちにそれを拾いあげましたが、どうしたはずみか首がぽっかりと欠けてしまいました。
「これは大変」とばかり、あわててそれをつぎあわせましたが、あまりにあわてたためか首を後ろ向きについでしまいました。が、尼さんにはどうすることもできないので、そのままそれをささげてもって、この伏拝(ふしおがみ)の山上にあった大きなヒノキの木の根もとに祀りました。
それがこの祠(ほこら)のはじまりで、その後何百年かのち、ご神体は今の上山神社の位置に移され、山寺大権現と尊崇されることになったので、元の鎮坐地は伏拝と呼ばれるようになりました。また、山寺権現に参ったときは前うしろから拝む風習がありますが、これは首のうしろむいたご神体を祭っているからだと言われています。(「伝説の熊野」 平八州史著より)
熊野は本当に奥深いと思います。
熊野・熊野古道の情報は「くまどこ」からどうぞ。
神川町神上字奥地から碇谷へこえる小さな峠に山寺権現伏拝(ふしおがみ)と称する小祠があります。昔、碇(いかり)尼寺の尼さんが近くの谷川で水を汲んでいると、不意に一体のご神像が天降ってきて手にしていた柄杓(ひしゃく)につきあたりました。
尼さんはびっくりして思わず「ああ勿体ない」と叫ぶとともに直ちにそれを拾いあげましたが、どうしたはずみか首がぽっかりと欠けてしまいました。
「これは大変」とばかり、あわててそれをつぎあわせましたが、あまりにあわてたためか首を後ろ向きについでしまいました。が、尼さんにはどうすることもできないので、そのままそれをささげてもって、この伏拝(ふしおがみ)の山上にあった大きなヒノキの木の根もとに祀りました。
それがこの祠(ほこら)のはじまりで、その後何百年かのち、ご神体は今の上山神社の位置に移され、山寺大権現と尊崇されることになったので、元の鎮坐地は伏拝と呼ばれるようになりました。また、山寺権現に参ったときは前うしろから拝む風習がありますが、これは首のうしろむいたご神体を祭っているからだと言われています。(「伝説の熊野」 平八州史著より)
熊野は本当に奥深いと思います。
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