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中森 輝雄師匠にお会いしたのはいつだっただろうか?
和太鼓を愛し、和太鼓を叩く人を愛し、その生き方に老いも若きも関係なく歩み寄り、師匠の回りにはいつも多くの人がいました。
86歳で本日逝ってしまわれましたが、何度か師匠の叩く太鼓の目の前で撮影させていただきました。
ファインダー越しに眺めるのがもったいないほど、聞き入って見入っていたい、そんな太鼓でした。
この写真は、昨年の5月7日に開催された「熊野と中森輝雄の日々」出版記念祝賀会、中森輝雄誕生祝いの会の写真です。
1枚目は太鼓演奏に入る前です。師匠の太鼓の音はここから始まっています。
「熊野と中森輝雄の日々」を書かれた見臺洋一氏が出版記念講演の中で、優れた才と修練で生み出された梵字・仏画、そして誰にもまね出来ない和太鼓の演奏、その中に無冠ではあるが、熊野が生み出す「水」のように清らかで、そして誰にも欠かせない大切なもののように「ここ」に存在する事が奇跡であると話した通りの方だったと思います。
地元の人だけではなく世界的なヴァイオリン奏者「古澤巌氏」が弟子入りしたいと願い、和太鼓奏者「林英哲氏」、佐渡の和太鼓 鼓童の「藤本吉利氏」がかけつけて祝ったことをとっても、師匠の魅力に心を動かされた人は、全国、世界でもトップクラスの方々でした。
師匠が育てた「熊野鬼城太鼓」の一人と、師匠を家まで送った帰り道、こう話したことがありました。
「師匠のように年を重ねられたらいいな~、年齢は関係なくいろんな人が集い、熱中しながら話し笑い考え打ち込む、その中にいつも居るような、そんな生き方が僕らに出来るやろか、そんな人は熊野に師匠しかおらへんな、すごいな」と。
太鼓の撮影に行った時、師匠の笑顔にもうお会いすることができないのが寂しい。