![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/40/3896fa847d545a1521dde24391852a05.jpg)
このブログで2回ほど紹介しているのですが、このブログを見てくれている方々が検索で訪れるのが多いのが、日初様(ひそめさま)です。
1回目に行ったのは、2016年2月28日でした。
1回目に行ったのは、2016年2月28日でした。
今回は、2020年より、さらに道がきれいに整備されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/cf/a042cae3c46a246716664c759918a62f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/9f/769c4abde1bea98442c7009574d42651.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/5d/6178ce62f38874c74b2db2efb000e604.jpg)
今回は、整備された道を千引の盤座(ちびきのいわくら)へ歩いていきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3c/7b635416bb7366a50b5f336130945855.jpg)
道を更に上へと上がっていくと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/27/10a55ce44169b8cc4ff7114c644997ac.jpg)
これは、池川町の「まないたさま」へと続く道「古道」です。
更に登っていくと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/aa/13ae7f61a3678e97f782651d7391cdfa.jpg)
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今回は、整備された道を千引の盤座(ちびきのいわくら)へ歩いていきました。
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道を更に上へと上がっていくと
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これは、池川町の「まないたさま」へと続く道「古道」です。
更に登っていくと
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案内の目印が竹に縛ってくれていました。
たどり着いたのが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/cf/fceb233c85bb89443cd67d826b646e82.jpg)
たどり着いたのが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/cf/fceb233c85bb89443cd67d826b646e82.jpg)
千引の盤座
以前も、その場所を探して日初様周辺を歩いているのですが、ここが地元の方も「千引の盤座」の場所としたものと思われます。
2016年に案内された時は、まだはっきりとわかっていなかったのですが、知っている方がいたのかもしれません。
確かに、このような岩場は多く、水が出ているところが他にもあり、現在の山になる前は畑でもっと開けていただろうし、道として人通りもあり、竹藪の中ではなかったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a8/067642dba8bcb07c7db39afcb5463f46.jpg)
以前も、その場所を探して日初様周辺を歩いているのですが、ここが地元の方も「千引の盤座」の場所としたものと思われます。
2016年に案内された時は、まだはっきりとわかっていなかったのですが、知っている方がいたのかもしれません。
確かに、このような岩場は多く、水が出ているところが他にもあり、現在の山になる前は畑でもっと開けていただろうし、道として人通りもあり、竹藪の中ではなかったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a8/067642dba8bcb07c7db39afcb5463f46.jpg)
壺の中には、水がどんどん流れ入っていて、近くに家があった頃は、利用されていたのではと思われます。
この周辺をもっと探検して、日本書紀に書かれている黄泉の国への入り口のイメージを探り出したいと思います。もしかしたら「まないたさま」が千引の盤座だったとしてもおかしくないな〜などと考えてみたりします。
この周辺をもっと探検して、日本書紀に書かれている黄泉の国への入り口のイメージを探り出したいと思います。もしかしたら「まないたさま」が千引の盤座だったとしてもおかしくないな〜などと考えてみたりします。