でも駅前のパン屋さんはお薦めですよ
有名なパンがありますっ
その名も・・・って名前は知らないのですが、カボチャが練りこんであるパンがお薦めです
買いに行く時は、毎回、焼き上がり時間を電話で確認して行きます
焼きたてのパンを食べたら病みつきです。こんなに遠いのに回数券を持ってます
今回は時間が早すぎたので諦めました。焼きたてパンの香りって良いですねぇ
この匂いが好きでパン焼き機を買いたかったのを思いだしました
宮地駅を出て右に国道57号線沿いに進みますと、直ぐに旧道とのY字の交差点に出ます。
ここは是非右の旧道を通って行きましょう。
しばらく進むと道幅がグッと狭くなった所に石橋があります
その名も 天神橋という眼鏡橋です
この写真は橋の上から撮りました。
上の写真の展望所の看板付近からの写真です
現在も使われています
驚くことに上は車道です 昔の石橋の上を車で通れるのにはびっくりしました。
説明が書いてありました・・・
・・・フムフム
・・・なるほど ここでも東陽村の石工さん達の功績が光っていますねぇ
写真では読みにくいので・・・
天神橋(めがね橋)
天神橋の工事は、あしかけ3年を要し、約百個の石がみごとなアーチをえがいている。橋のたもとには「弘化四年丁未吉辰(1847)八代郡種山手永(現東陽村)棟梁石工卯助」と刻まれている。
卯助の最大の事業は、緑川に架けられた下益城郡砥用町清水の霊台橋で、石功棟梁種山卯助ら総勢72人で行われたことである。この霊台橋が完成の日彼はもう天神橋の着工に向けて出立ちしていたという。
卯助は最後の一石を頂点にはめる時、その真下に威儀を正して正座したといわれ、覚悟の程がしのばれる。
一の宮町
石工の棟梁は最後の石を積み上げた時に作り方が悪くて崩壊した場合には責任をとって切腹していたと云われています。
橋が掛って162年経っても現役の立派な石造眼鏡橋です
橋が道幅より狭いので注意用の反射鏡が貼ってあって見かけは良くありませんがごく普通に使われているのが良かったですねぇ
この旧道は、実は参勤交代の時に繁栄して豊肥本線開通により廃れていった宿場町だったのです。
「大阪に坂無く坂梨に坂あり」で有名な「坂梨宿場街道」 豊後街道坂梨の宿です
その名残を惜しむかのように各、家々の前には電気の灯籠で作られた表札が立っています。
昔の職業と名前などが書かれてありました
大工・・・油屋・・・宿・・・等色々ありました
道の作りも真っ直ぐな一本道では無くて、途中をクランクさせてあります
これには理由があります・・・確か・・・え~っと・・・ ・・・ ・・・
忘れました ハハハ
確か、なるほどと言った記憶があったのですが忘れました。
駅長に聞いときます。
さてさて宮地駅も過ぎて、橋までの駅で残る駅はただ一つです
次は波野駅です