私が城館探訪を始めたのは、中学3年生の夏でした。
夏休みの自由研究の課題として設定し、高校受験準備もそっちのけで
夏休み中、自転車で走り回っていたような気がします。
最初に尋ねたのはどこだったか、記憶が曖昧ですが。
さて、熊谷市の別府地区は中世武蔵武士団のスター別府氏の根拠地ですが、
この地域に隣接する玉井、奈良にも城館跡や墓所が点在する、城館探訪の
大場所と言えます。
また、奈良時代の郡衙の所在地でもあり、古代の祭祀遺跡もあるなど、
丁寧な観察をすれば丸1日楽しめます。
さて、写真は西別府城址碑(1982頃)です。この当時、西別府城址の遺構は
農家の庭や畑の隅にとぎれとぎれに残存していたのですが、このころの私は、
石碑を見ただけで興奮してしまい、他に土塁の残欠を1か所、別府市に関係する祠を
一か所撮影した記憶がありますが、写真はこの1枚のみが残るきりです。
フイルムも出てきたので、年内に電子化することを目指しています。
電子化のネックになるのは、フィルムが当時はやったコンパクトカメラの細いフィルムであること。
通常のフィルムではないため、2週間もかかるらしく、実際に発注するのは年明けになりそうです。
ちなみに現在の城址碑はこれです。
周囲が一変してしまいました・・・。
実は当該地域は、大型のバイパス建設工事が進んでおり、それに伴って環境の変化が激しいのです。
おまけ
別府氏関連遺跡群内には、郡衙があったせいなのか、伝藤原淡海公(藤原不比等)の
墓所と伝えられるところがあり、地域の人々が守っています。
以前は、3枚目の写真の線香をお供えする台の上に置いてある石が墓石でした。
これも中学生の時、写真を撮影した記憶があるのですが、発見した時には、公開したいと思います。
夏休みの自由研究の課題として設定し、高校受験準備もそっちのけで
夏休み中、自転車で走り回っていたような気がします。
最初に尋ねたのはどこだったか、記憶が曖昧ですが。
さて、熊谷市の別府地区は中世武蔵武士団のスター別府氏の根拠地ですが、
この地域に隣接する玉井、奈良にも城館跡や墓所が点在する、城館探訪の
大場所と言えます。
また、奈良時代の郡衙の所在地でもあり、古代の祭祀遺跡もあるなど、
丁寧な観察をすれば丸1日楽しめます。
さて、写真は西別府城址碑(1982頃)です。この当時、西別府城址の遺構は
農家の庭や畑の隅にとぎれとぎれに残存していたのですが、このころの私は、
石碑を見ただけで興奮してしまい、他に土塁の残欠を1か所、別府市に関係する祠を
一か所撮影した記憶がありますが、写真はこの1枚のみが残るきりです。
フイルムも出てきたので、年内に電子化することを目指しています。
電子化のネックになるのは、フィルムが当時はやったコンパクトカメラの細いフィルムであること。
通常のフィルムではないため、2週間もかかるらしく、実際に発注するのは年明けになりそうです。
ちなみに現在の城址碑はこれです。
周囲が一変してしまいました・・・。
実は当該地域は、大型のバイパス建設工事が進んでおり、それに伴って環境の変化が激しいのです。
おまけ
別府氏関連遺跡群内には、郡衙があったせいなのか、伝藤原淡海公(藤原不比等)の
墓所と伝えられるところがあり、地域の人々が守っています。
以前は、3枚目の写真の線香をお供えする台の上に置いてある石が墓石でした。
これも中学生の時、写真を撮影した記憶があるのですが、発見した時には、公開したいと思います。