ゼンリンの住宅地図は熊谷市内の城館探しに随分役に立ってくれました。
別府氏関係城館や中条館などの、市内の名城館跡ならば探索は比較的簡単なのですが、
その他重要性の低い城館跡は地元中の地元にお住まいの方しか知りません。
そんなときに役立ってくれたのがゼンリンの住宅地図でした。
兵部裏屋敷はそんな城館跡の一つでした。
土地を三角定規のような形に区切る堀がはっきり書かれていました。
写真は1982年頃のものです。
実はこの山、私が小学生の頃は、「かぶと山」と呼ばれる遊び場で、夏休みにはよく虫捕りに行ったものでした。
「かぶと山」の名の由来は、城館とは何の関係もなく「カブトムシのいる山」という他愛もないものでした。
写真の山の真下を、水路が流れており「しょうぶら堀」と呼ばれていたとは『埼玉の館城祉』によって知りましたが、
当時、地元の方でも全く知りませんでした。地主さんなど限られた方だけが知っていたのではないでしょうか。
兵部裏屋敷は50センチほど高く盛り上がっており、高く盛り上がった土壇の脇の小さな坂が入り口でした。
敷地内には、建物があったと思われる高台、井戸跡と思われるくぼみなどが残っていました。
当時、子供心にも不気味に思われましたが、写真撮影時には金網製のフェンスが設けられて、
立ち入りができなくなっていました。
何か間違いの起こりやすい場所と言えないことも無かった・・夕方、学生服姿のアベックがいたりしたので、
治安などのためにフェンスが設置されたのでしょう。残念なことですが仕方がありません。
機会があれば、再訪してみようと思います。
追記 記事作成後、グーグルマップで確認したところ、
屋敷跡の半分のみが残り、残りは住宅になってしまったようですね。
あの周辺は、水田のあぜ道に深い井戸があったりするような、変な場所でした。
あんな場所を住宅開発するなんて・・・・と、ため息が出ました。
別府氏関係城館や中条館などの、市内の名城館跡ならば探索は比較的簡単なのですが、
その他重要性の低い城館跡は地元中の地元にお住まいの方しか知りません。
そんなときに役立ってくれたのがゼンリンの住宅地図でした。
兵部裏屋敷はそんな城館跡の一つでした。
土地を三角定規のような形に区切る堀がはっきり書かれていました。
写真は1982年頃のものです。
実はこの山、私が小学生の頃は、「かぶと山」と呼ばれる遊び場で、夏休みにはよく虫捕りに行ったものでした。
「かぶと山」の名の由来は、城館とは何の関係もなく「カブトムシのいる山」という他愛もないものでした。
写真の山の真下を、水路が流れており「しょうぶら堀」と呼ばれていたとは『埼玉の館城祉』によって知りましたが、
当時、地元の方でも全く知りませんでした。地主さんなど限られた方だけが知っていたのではないでしょうか。
兵部裏屋敷は50センチほど高く盛り上がっており、高く盛り上がった土壇の脇の小さな坂が入り口でした。
敷地内には、建物があったと思われる高台、井戸跡と思われるくぼみなどが残っていました。
当時、子供心にも不気味に思われましたが、写真撮影時には金網製のフェンスが設けられて、
立ち入りができなくなっていました。
何か間違いの起こりやすい場所と言えないことも無かった・・夕方、学生服姿のアベックがいたりしたので、
治安などのためにフェンスが設置されたのでしょう。残念なことですが仕方がありません。
機会があれば、再訪してみようと思います。
追記 記事作成後、グーグルマップで確認したところ、
屋敷跡の半分のみが残り、残りは住宅になってしまったようですね。
あの周辺は、水田のあぜ道に深い井戸があったりするような、変な場所でした。
あんな場所を住宅開発するなんて・・・・と、ため息が出ました。