暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

別府氏関係城館跡 ② 郡衙跡と湯殿神社祭祀遺跡

2017-08-28 10:32:59 | 城館跡探訪
別府氏関係遺跡群は、利根川の氾濫原によってできた段丘上にあります。

位置的には、段丘の西端に湧水源をもっていた別府沼に沿う形で、

隣接する玉井地区に接する、香林寺裏辺りまでの広大な地域にまたがっています。

城館も西から西別府城、別府氏城、東別府館と横に並んでおり、

それぞれが規模の差こそあれ遺構を残しています。

寺院や小祠を混ぜれば数多くの見るべきものがあります。

さて、別府沼と私のかかわりは小学校5年生の冬からのもので、

別府沼は当時、釣りの名場所として知られていて、

私も釣りに行ったのですが、行ってびっくりしました。

沼の水は少なく、家庭用排水が流れ込み、水辺に行こうにも泥が深かったのです。

まったく釣りになりませんでした。

夏にはライギョが浮かんでいるのをしばしば見かけましたが、葦が生い茂って

足場が悪く、釣りをする気になれませんでした。

別府沼は今でこそ、熊谷市の保護の下で自然公園として整備が進んでいますが。

ただ、湧水源を抱えていた上流域だけが、かろうじてみられる状態でした。

さて、湧水源附近には湯殿神社があります。ちょうど西別府城の西に隣接するような具合です。

湯殿神社裏に水源を神に見立てた祭祀遺跡があります(写真は2017年8月6日)







私が高校生の頃(1984年か)に行った時とたころとほとんど変わっていません。

湯殿神社を含む当時の写真は、スキャンがうまく行かなかったので、後日、別項を立てて紹介します。

夕方に行くとかなり不気味なところです。水神の眷属、河童や大蛇が出てきそうです。


変わったことといえば、神社の入り口には次のような解説看板が設置されたことです。



こういうものを読んでいると、調査報告書が欲しくなりますね。


熊谷北部の利根川氾濫原の上に形成された段丘は、古代史的には重要な防衛ラインで、

段丘上に多くの有力な古社が残っています。

代表的なのが熊谷市の高城神社で、上野国造が南下を図るのを阻止するための防衛拠点だったらしいです。


そうかんがえると、別府に有力武士が誕生し強大な勢力を張るに至った理由が透けて見えてくる気がいたします。

郡衙跡は現在デイケアセンターになっております(汗



ちなみに、現在、上野国造の子孫は熊谷市の吉見地区にいらっしゃいますが、その一族も水に関係する

伝承を持っていて、湯殿神社に極めて似た立地の場所にお住まいです。