暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

御嶽城(神川町)①

2019-03-30 17:02:33 | 城館跡探訪
本日から、数回に分けて御嶽城(神川町)について書きたいと思います。

調査日は2019.02.12です。

御嶽城は武蔵三之宮金讃神社の背後にある御嶽山の山上に展開する山城です。

金讃神社は二之宮であるという説もあります。

まあ、それはともかく、御嶽山は修験の行場でもあり、岩塊がむき出しの山です。

御嶽城は峻険な山であるにもかかわらず、縄張りはかなり広範囲に展開しており、

今回は、100枚以上の写真を撮影しました。

峻険な岩山であり、足場はかなり悪く危険です。


ここには一度行きたかった。というのも、この御嶽城は妻沼の長井斎藤氏の手になるものと言われており、

私の先祖にも縁がある城だからです。

北条氏の勢力伸長に伴って、勢力を失った長井斎藤氏は、妻沼に残された領地に戻って、長井姓も斎藤姓も名乗らず

歓喜院の別当職を継いでいます。


ともあれ、まず金讃神社に行かなければなりません。



途中、国指定重要文化財の多宝塔があります。
















金讃神社の拝殿です。

金讃神社は御嶽山の一峰である御室ヶ嶽をご神体としています。



さて、御嶽城は拝殿の後ろにある、鏡岩に向って上ることから始まります。

まあ、現在では案内も充実していますが。





この冬は、山城シリーズだ!と勢い込んではみたものの、体調を大きく崩してしまい、

目標の半分も回れませんでした。

腰越城や御嶽城クラスの山城になると、丁寧に見ようと思えば時間がかなり必要です。

御嶽城も2時間以上を要してしまいました。


さて、鏡岩に向かう途中です。



この山道の途中には、いくつかの平場があります。

これは御嶽城の関係なのか、行場なのか・・思わず考えてしまいますが、

この細い山道で矢を射かけられたら、寄せ手も相当難渋するでしょう。

すると、やはり防御施設なのか・・・。




鏡岩に到着です。



下から見るとしめっぽい岩にしか見えませんが・・。



結構、テカテカしています。

これは断層がずれた時の摩擦でできたものだということで、まあ、ここには断層があるということになるわけです。

地学好きの方には、見どころが多いと思われます。


さて、鏡岩の辺りに平場があります。ここはそれなりに大きな平場で、防御をしていたのでしょう。






ここからもうひと踏ん張りです。

やはり簡単には上がらせてもらえません。






この坂をのぼりつめると、左右に分かれます。



左方面、広場のある方も城跡の一部です。入口の両側の盛り上がりは虎口となっていたのでしょうか。

この広場は見晴らしがいいのですが、主郭ではありません。

金讃神社には、法楽寺という寺院があり、明治期に廃寺となるまでは、この広場も法楽寺の一部だったようです。

こちらに先に行ってしまうと、達成感を得て「これでいいやぁ」となってしまうので、

主郭に向かう右の道を進みます。



ここからが足場がどんどん不安定になっていきます。

下の写真、小さな石の祠の向こう側、鞍部がありますが、これは堀切です。



この先の山頂部分が主郭のようです。

下の写真の浅い鞍部も堀切です。











これまで見たように、この山道には、写真にみられるような、丈の低い土盛や、浅い鞍部があります。



下の写真ではなかなかわかりづらいですが、これらは土塁や堀切などの城址の遺構とみていいのか・・。





これじゃあ、難しいですね(笑)

写真の撮影の仕方もよくないですね。こりゃあひでえな。

一応、尾根の斜面を切っていると、私はみているのですが。



御嶽城の基盤となる御嶽山自体、結晶片岩の岩峰で切り立ったがけが多く、

平場を削平すれば、城郭機能を満たせる意味もあります。

しかし、行きの道は長く感じます。

この坂を上り切れば主郭・・・・。この坂の手前が堀切になっています。

坂が厳しく、補助用に張ってある、工事現場でおなじみの塩ビ製のトラ縞のロープを使って上ります。

下の写真中央にロープが見えますね。

この辺り、木の葉を踏むと足が滑りまくります。



この主郭の乗った峰の途中にも、小さな平場状のものが付随しております。



実は、私、目が見えないうえに、冬場の山道などでは、極度にバランス感覚が悪くなってしまうため、

かなり危ない思いをするのですが、今回はそれが現実のものになってしまいました。


ついに主郭に到達しました。







主郭を見ると、狭い感じがしますが、狭小な結晶片岩の峰をうまく利用して、広範囲に縄張りを

めぐらしているのが、この城の特徴です。


次につづく。