前記事に続き、本記事では石原氏関連の石原氏陣屋について書きたいと思います。
調査日は2020年01月14日です。
石原氏陣屋は、石原氏館跡よりかなり離れた本石地区の市街地にあります。
17号国道沿い北側、八木橋デパート近くです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/50/27e7b168e9279731c6efd66fe5d158db.jpg)
正直、目立つ遺構らしきものはありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/47/135d9d2bca28496c257e7824cb0ddddd.jpg)
石原氏陣屋跡は荒川氾濫原に面した微高地にあるのですが、市街化が進んでいるので
注意深く地形を読み取る努力が必要です。
下2枚の写真は松巌寺山門前の路地を撮影したものですが、境内地がやや高いことがわかりますが、
かといって、堀跡なのかなあ・・・・というとどうなんでしょうか。仮に堀跡だと推定しても
近い距離にある熊谷氏館跡の熊谷寺ほどの雰囲気はありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/58/c35f061599e025cb6dfcbccf7f105988.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/79/4632d37056feee6eaca56ec69021fb48.jpg)
むしろ、注目するべきは松巌寺西側にある、ひときわ幅の広い道路です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/5d/708fb9d8656947b1d04ef17e6110c65e.jpg)
ここは、陣屋に付随する馬場があったのではないかと直感的に思いました。
この道路に面したお寺の施設脇にはわずかですが石仏が残されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/2d/ff1ecdb005914b7ad11034faa0cf84cf.jpg)
松巌寺は墓地のないお寺で、墓地は熊谷市郊外の大原墓地という大型霊園にまとめられていますので、
山門以外はかなりお寺らしくない雰囲気です。
にも、かかわらずここは地域史的には結構重要な場所で、後北条氏による荒川治水遺構である
北条堤の起点になっているのです。
そこで、次回の記事では北条堤について書きたいと思います。
調査日は2020年01月14日です。
石原氏陣屋は、石原氏館跡よりかなり離れた本石地区の市街地にあります。
17号国道沿い北側、八木橋デパート近くです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/50/27e7b168e9279731c6efd66fe5d158db.jpg)
正直、目立つ遺構らしきものはありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/47/135d9d2bca28496c257e7824cb0ddddd.jpg)
石原氏陣屋跡は荒川氾濫原に面した微高地にあるのですが、市街化が進んでいるので
注意深く地形を読み取る努力が必要です。
下2枚の写真は松巌寺山門前の路地を撮影したものですが、境内地がやや高いことがわかりますが、
かといって、堀跡なのかなあ・・・・というとどうなんでしょうか。仮に堀跡だと推定しても
近い距離にある熊谷氏館跡の熊谷寺ほどの雰囲気はありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/58/c35f061599e025cb6dfcbccf7f105988.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/79/4632d37056feee6eaca56ec69021fb48.jpg)
むしろ、注目するべきは松巌寺西側にある、ひときわ幅の広い道路です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/5d/708fb9d8656947b1d04ef17e6110c65e.jpg)
ここは、陣屋に付随する馬場があったのではないかと直感的に思いました。
この道路に面したお寺の施設脇にはわずかですが石仏が残されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/2d/ff1ecdb005914b7ad11034faa0cf84cf.jpg)
松巌寺は墓地のないお寺で、墓地は熊谷市郊外の大原墓地という大型霊園にまとめられていますので、
山門以外はかなりお寺らしくない雰囲気です。
にも、かかわらずここは地域史的には結構重要な場所で、後北条氏による荒川治水遺構である
北条堤の起点になっているのです。
そこで、次回の記事では北条堤について書きたいと思います。