暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

二子山から上野村へ②

2017-11-15 21:49:50 | 山と伝説
埼玉県側から志賀坂峠を越えて、瀬林の漣痕にたどり着きました。

近くに全山石灰石の叶山は石灰石の採掘中で、立ち入りは禁止されていたと思います。




写真のどれが恐竜の足跡か?と訝しく思う方もいらっしゃると思いますので

説明を加えると、写真中央付近に白い傷のように見えるものがありますが、よく見ると、白い擦り傷のような

痕跡の中に黒いくぼみがあるのがわかります。

これが恐竜の足跡です。足跡は一つだけではなく、写真上の岩盤に生えた松の木の根元付近まで続いています。

この付近、現在では化石の採掘は制限がかけられています。

瀬林の漣痕から少し歩くと、神流川の上流に沿って流れる道に出ます。

秩父困民党の残存部隊がこの道を長野方面に進軍したそうです。


現在では、日航ジャンボ機の事故現場まで一直線に向かう国道が整備されていますが、

かつては、渓谷沿いにずっと細い道が続き、素晴らしい渓谷美を見ることができました。

渓谷沿いを下久保ダム沿いに歩いていると一台の小型バスが走って来ました。

バス停は見つからず、「乗れないな」と思いながら、バスを何度も振り返っていると、

バスが止まってくれました。このバスは、どこでも乗り降り自由なバスだったのです。

バスに乗り込むと、大きな岩が現れます。

丸岩という名前が付けられています。



巨石にその形から見立て名前が付けられ、その由緒になる伝説があります。

山姥の足洗渕・・・。



実際には甌穴の残った岩です。



現在も旧道の残存部分に、渓谷美と伝説の巨石が残っております。

個人的には、こうした岩の由緒書きの様な伝説に関心があります。

シーズンを外して、ひっそり訪ねてみるのもいいかもしれません。

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