本日は、すこし気楽な話題にしたいと思います。
埼玉県と群馬県の県境には古生代から中生代の地層が広がっているエリアがあります。
小鹿野町から河原沢川沿いに進みます。この河原沢川沿いの谷間は、「山中地溝帯」と呼ばれ、
北側に古生代の地層があります。この古生代の地層には分厚い石灰岩層があり、
石灰岩の山があります。
その中に二子山があります。二子山は西岳、東岳にわかれています。
石灰岩は非常にかたい岩石で、秩父古生層産のチャートと並んで、鋭く切り立った峰を作ります。
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二子山山麓は中生代の化石が、石灰岩層からはフズリナ、サンゴなどの化石が算出し、他に大きな方解石が採集できました。
ところが、今ではすっかり枯渇してしまったようです。
この石灰岩の地層は群馬県側にもつながっており、群馬県側には叶山という山があります。
さて、これらの写真は昭和61年(1986年)3月に、初めて一人で宿をとって山を見に行ったときの写真です。
二子山のふもとには坂本という集落があり、この集落には、かつてふたつの民宿がありました。
ここは、交通の難所で、群馬県側に抜けるには、さらに2時間近く歩いた山奥にある志賀坂峠を通過するか、
二子山を登って群馬県側に抜ける魚ノ尾道峠を抜けるしかありませんでした。
これが二子山の鞍部にある峠です。
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わたしがここを訪れた目的の一つは、方解石と化石、ふたつには、群馬県側瀬林にある恐竜の足跡の見学でした。
方解石は握りこぶしほどのものが、道端におちていたりするので、1個だけ拾いました。今でも自宅にありますが。
魚ノ尾道峠を経由すると、とんでもないところに降りてしまいそうなので、西岳に登ってから下山しました。
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下の写真は西岳です。とにかく切り立った山で、稜線は、おなじみの石灰岩の一枚岩です。
また、クライミングの名所で、多くのクライマーが練習をしていました。正直冗談じゃないなと思いました。
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西岳の付け根の部分には縄文期の住居跡などの遺跡が確認されていますが、足場が悪くて危険です。
下山すると、わたしは急ぎ足で志賀坂峠を目指しました。
志賀坂峠付近は縄文期の遺物がよく見つかるらしく、そうした遺物が神社の御神体としてお祀りされています。
正午頃に、瀬林に到着しました。
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恐竜の足跡とさざ波の跡です・・・・。
埼玉県と群馬県の県境には古生代から中生代の地層が広がっているエリアがあります。
小鹿野町から河原沢川沿いに進みます。この河原沢川沿いの谷間は、「山中地溝帯」と呼ばれ、
北側に古生代の地層があります。この古生代の地層には分厚い石灰岩層があり、
石灰岩の山があります。
その中に二子山があります。二子山は西岳、東岳にわかれています。
石灰岩は非常にかたい岩石で、秩父古生層産のチャートと並んで、鋭く切り立った峰を作ります。
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二子山山麓は中生代の化石が、石灰岩層からはフズリナ、サンゴなどの化石が算出し、他に大きな方解石が採集できました。
ところが、今ではすっかり枯渇してしまったようです。
この石灰岩の地層は群馬県側にもつながっており、群馬県側には叶山という山があります。
さて、これらの写真は昭和61年(1986年)3月に、初めて一人で宿をとって山を見に行ったときの写真です。
二子山のふもとには坂本という集落があり、この集落には、かつてふたつの民宿がありました。
ここは、交通の難所で、群馬県側に抜けるには、さらに2時間近く歩いた山奥にある志賀坂峠を通過するか、
二子山を登って群馬県側に抜ける魚ノ尾道峠を抜けるしかありませんでした。
これが二子山の鞍部にある峠です。
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わたしがここを訪れた目的の一つは、方解石と化石、ふたつには、群馬県側瀬林にある恐竜の足跡の見学でした。
方解石は握りこぶしほどのものが、道端におちていたりするので、1個だけ拾いました。今でも自宅にありますが。
魚ノ尾道峠を経由すると、とんでもないところに降りてしまいそうなので、西岳に登ってから下山しました。
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下の写真は西岳です。とにかく切り立った山で、稜線は、おなじみの石灰岩の一枚岩です。
また、クライミングの名所で、多くのクライマーが練習をしていました。正直冗談じゃないなと思いました。
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西岳の付け根の部分には縄文期の住居跡などの遺跡が確認されていますが、足場が悪くて危険です。
下山すると、わたしは急ぎ足で志賀坂峠を目指しました。
志賀坂峠付近は縄文期の遺物がよく見つかるらしく、そうした遺物が神社の御神体としてお祀りされています。
正午頃に、瀬林に到着しました。
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恐竜の足跡とさざ波の跡です・・・・。
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