本日は、川本町の堀の内(瀬山氏館跡)について書きたいと思います。
調査日は2020.02.07です。
堀の内(瀬山氏館跡)は川本町、秩父鉄道の南側、川原明戸に近い瀬山地区にあり、
秩父線の新しい駅明戸駅が最寄り駅です。
瀬山氏は地名を姓に採った在地の土豪で、私市党の瀬山氏とは関係が無いようです。
恐らくもともとは荒川氾濫原の講縁開拓に入植した一族が出発点だったのでしょう。
北条氏治下では瀬山、長在家、上原地区が瀬山氏の所領であったようです。
この瀬山氏から、大坂冬の陣に出陣した瀬山将監行政を輩出したようです(『埼玉縣大里郡郷土誌』武川村の項)。
瀬山に隣接した明戸は、農業に向かない土地を意味する悪土を語源とするといわれ、
瀬山氏の辛苦がしのばれます。恐らく水害も多かったのでしょう。
堀の内(瀬山氏館跡)は現在の明戸八幡神社を中心とする地域だとされているようです。
土塁と思われるものが残っています。
空堀跡でしょうか。
しかし、これが館跡であるとすれば、やや小さいような気がします。
かつては堀が残っていたといわれます。
同行者がいたのですが、自分はどうも同行者に遠慮をしてしまうところがあって、
十分な調査ができたとはいいがたいものになってしまいました。
チャンスを得て、再び行きたいと思います。
調査日は2020.02.07です。
堀の内(瀬山氏館跡)は川本町、秩父鉄道の南側、川原明戸に近い瀬山地区にあり、
秩父線の新しい駅明戸駅が最寄り駅です。
瀬山氏は地名を姓に採った在地の土豪で、私市党の瀬山氏とは関係が無いようです。
恐らくもともとは荒川氾濫原の講縁開拓に入植した一族が出発点だったのでしょう。
北条氏治下では瀬山、長在家、上原地区が瀬山氏の所領であったようです。
この瀬山氏から、大坂冬の陣に出陣した瀬山将監行政を輩出したようです(『埼玉縣大里郡郷土誌』武川村の項)。
瀬山に隣接した明戸は、農業に向かない土地を意味する悪土を語源とするといわれ、
瀬山氏の辛苦がしのばれます。恐らく水害も多かったのでしょう。
堀の内(瀬山氏館跡)は現在の明戸八幡神社を中心とする地域だとされているようです。
土塁と思われるものが残っています。
空堀跡でしょうか。
しかし、これが館跡であるとすれば、やや小さいような気がします。
かつては堀が残っていたといわれます。
同行者がいたのですが、自分はどうも同行者に遠慮をしてしまうところがあって、
十分な調査ができたとはいいがたいものになってしまいました。
チャンスを得て、再び行きたいと思います。
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