花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

那須・南月山のイワインチン・その2

2010年08月31日 | 登山

昨日のアケボノソウの写真の替わりに、昨年の8月23日に戦場ヶ原で撮った
アケボノソウの写真を掲載します。
色々 虫もついていますが、アケボノの星のような斑点がお判りいただけると思います。
(戦場ヶ原の木道には アケボノソウの群落がある)


話は前後するが、写真は沼原湿原の木道への入り口である。
平日の工事期間中は、作業開始と共にこの場所に閉鎖の柵が設けられる。
この入り口の左側に、沼原調整池の土手と平行にフェンスがあり、それに沿って
木道も設置されているが、こちらは工事期間中でも歩けるので、行ってみよう。


調整池の土手下の木道から駐車場方面を振り向くと、白笹山のおむすびの様な山容と
左側には日の出平からの尾根が延びている。
奥に見えるのが作業小屋で右はフェンスと沼原調整池の土手が続く。


同じ場所から北の沼原湿原方向を見ると、遙かに流石山と大倉山の峰が続く。
ただこの写真では、左の大倉山の頂きが木の陰で見えないので、東屋のある場所から
西に向かった木道から撮った写真もお見せします。


湿原を横断している木道から撮った大倉山(左端のピーク)


駐車場から湿原に降りてくると建っている周辺案内図と説明文から、説明文を切り取った
写真。
日差しで一部が見えにくくなっているが、沼原湿原の簡単な歴史が判るので、訪れたら
目を通しておきたい。
聞くところによると、木道の側の水路は、牧場時代の馬の水飲み場だったとも言うのだが
真実かどうか定かではない。
いずれにしても、湿原も時代に翻弄された歴史を秘めている。

ここから麦飯坂を通り大峠に至る会津中街道は、戊辰戦争の激戦地で、今は亡き立松和平氏が
「原風景文集山の篇・狂暴な二つの太陽」で三斗小屋宿の悲惨な歴史を描いた場所である。
あまりの恐ろしさに、三斗小屋宿跡にはいまだに一人では行く気にはなれない。