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大本山永平寺別院・長谷寺山門
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長谷寺に咲くしだれ桜
昔の職場で親しかったS君の奥様の墓が東京の麻布にある。
群馬に帰った彼と、何十年ぶりかで再会したのは2年前である。
そのとき、彼の奥様が亡くなった事を聞いた。
それ以来、墓参りに行かなければと思いながらも、今日まで
果たせずにきた。
先日の地震で、予定されたイベントがすべて中止され、今日は
何の予定も入っていない。
彼から書いてもらった地図を頼りにお墓参りに行った。
渋谷から都バスに乗って、南青山7丁目で降りると、長谷寺は
すぐであった。
観音堂で線香が買えると言うので、まず観音堂に行ってみた。
年配の係の人に聞くと、線香に火をつけてくれたうえ、墓まで
案内してくれた。
墓碑銘を読むと、彼女は54歳の若さで他界していた。
彼女は、家内の職場の保育士だったので、家内とも親しい間だった。
だから本当なら、家内と一緒に来なければならないのだが
体調が悪くてこれなかった。
いつかは家内と来るからね と心で言いながら、遅くなって
ごめんと謝った。
いつも はにかんだように笑う彼女の顔が浮かんだ。
子供好きの優しい女性だった。
遅いよ と言うように、七回忌の卒塔婆が、何本も墓の後ろで
揺れた。
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小石川後楽園のしだれ桜
三十数年も新宿につとめていたのに、小石川後楽園には一度も
行った事がない。
墓参りに行ったついでに、飯田橋で降りて小石川後楽園に寄った。
この後楽園は、水戸徳川家の上屋敷に作られた庭園だから
茨城とも関係が深い。
茨城に住んでいるから一度は見ておきたいと言うわけである。
嬉しいことに、65歳以上は150円だと言う。
免許証を受け付けに見せて、150円で入った。
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折から園内は桜が見頃を迎えつつ有った。
ただ惜しむらくは、どんよりとした曇り空だった事である。
園内を巡ると、超望遠で撮影している人がいた。
聞いてみると、カワセミの雌を撮影している人で、モニター
に写るカワセミを拡大して見せてくれた。
肉眼で見ると、カワセミの姿が判らないから、さすがに
鳥見の人はすごい。しかもズームマイクで声まで拾っている。
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しだれ桜の間から高層ビル
やっぱり桜には青空が欲しい。
しだれ桜の後ろに東京ドームを入れて撮って見たが、曇り空で
ドームの屋根がはっきり判らない有様だった。
以下の写真は、いずれも小石川後楽園でさつえいしたもの。
明日は、昔の職場の旅行仲間の集まりが東京であるので、また
行けたら良いなー。
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補足説明
水戸徳川家は、徳川家康の十一男頼房が初代で、その中屋敷として
三代将軍家光から、寛永6年この地を与えられ、廻遊式庭園として
築造したのが始まりである。
後に上屋敷となり、頼房の次男であった光圀(黄門様)が二代藩主として
この庭園の築造にも力を注ぎ、隣国の明の遺臣で、日本に亡命していた
朱舜水の意見を用いて、今見るような中国趣味豊かな手法を加味したという
偕楽園の名前も、光圀が朱舜水に命じて選んだもので、宋の范文正の
「岳陽楼記」の中から「士当先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」から
とったものである。
意味は「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみは遅れて楽しむ」
と訳されている。
光圀と言う人は、本来二代目になる筈だった兄頼重に気をつかい
後に頼重の子、綱条(つなえだ)を養子に迎え、水戸家の三代藩主
とした。
頼重その人は、高松藩松平家の初代藩主となった人である。
(小ネタ話し)
徳川家の家系図を調べていて、びっくりしたのは、十一代将軍
家斉(いえなり)、なんと子供が50人以上もいる。
もちろん一人の女性に生ませた訳ではないが。
精力絶倫とはこのことだろう。脱帽。