花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

奥日光・歌ヶ浜の着氷と戦場ヶ原ハイク2

2013年02月04日 | 登山

今回歩いた戦場ヶ原のコース、三本松の駐車場を基点に
戦場ヶ原を一周した。
距離はおよそ7Km弱、所要時間は2時間40分
アップダウンはほとんど無い。

湿原内は木道歩きなのだが、踏み固められた跡が固く凍りノーマルの
登山靴ではスリップして危険なため、持参の軽アイゼンを着用した。

前日降った雨のしずくが、雪の上に丸い氷となって輝くくらい、戦場ヶ原
の寒さは厳しい。

だが、すれ違う人のほとんどがスノーシューを履いていて
自分がまるで時代遅れの様であった。

このコースは、昨年の1月にも歩いたが、その時は踏み跡が無く
新雪の木道歩きであったし、小田代湿原まで歩いた。


駐車場から見る金精山、左の外山の右肩から真っ白な頭を
のぞかせている。
その右の低いところが金精峠で、そのさらに右の立木の後ろに
見える白い雪山が湯泉ヶ岳にあたる。


駐車場の奥の120号線の出入り口から振り返ってみる
男体山、駐車場に続く道は、除雪した雪がうず高く積み上げられている
男体山の雪は、薙ぎと呼ばれる崩落地に積もった雪だけが
見えるため、全山真っ白には見えないのだろう。


国道120号線の様子、車道にはほとんど雪がないが、歩道は
溶けた雪が凍り付き、ぬかるみと氷の連続だった。


光徳牧場方面の道も除雪されて、バスが運行していた


光徳方面入口付近に有る木、厳しい環境に耐えている姿が
ありありだ。


光徳入口からわずかに湯元よりに進んだ地点に、北戦場ヶ原を
横断するコースの入口がある。
除雪された道路脇の雪を乗り越えてはいる。

付近に「熊に注意」の看板が有ってドキリとする。
昨年の秋、赤沼茶屋から戦場ヶ原にわずかに入った地点で
茨城の男性が熊に頭をかじられたと聞いていたからだ。
まあ、この時期なら冬眠しているから大丈夫だろう。


コース入口に立っている案内板、写真の左下に「遊歩道にペットの
持ち込みはご遠慮ください」と書かれた注意も写っている
ペットって「持ち込み」と言うのか? うーん?!
いずれにしろ、ペットは連れて入ってはいけないと言うこと。
泉門池(いずみやどいけ)まで、1.5キロ30分と書いてある

初めて奥日光にきた頃、泉門池を「せんもんいけ」と読んで笑われた
普通に読んだら「せんもんいけ」だろうと今でも思っている
だいたい地元の人にしか読めないような地名には、ふりがなが欲しいよな


入口からわずかに中に入ったコースの様子
大勢の人が歩いて踏み固められていた。


光徳牧場方面から流れてくる逆川が、土砂を戦場ヶ原に
堆積するため、湿原にズミなどの林を形成してしまった所だ
ズミは水分の多い堆積地を好むため、戦場ヶ原の周辺部に
多いと言われている。
こうして湿原は徐々に失われていく。

また戦前の一時期、戦場ヶ原に唐松を植林しようとして
戦場ヶ原に排水溝を作った跡が今でも残っていて、戦場ヶ原の
水が湯川に注いでいると言う。(赤ぽい川底を持った所を渡るので
、橋を渡るときに注意して見よう) それも湿原が乾燥化する一因
になっているという。
戦場ヶ原の育ちの悪い唐松は、その時の名残だとも言う。

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ちょっと筆休み

さて東北復興支援を兼ねたドラマ「火怨・北の英雄 アテルイ伝」も
終わってしまった。
アテルイの木製の首が、鹿島神宮に奉納されている話は、前のブログ
でも書いた。
久慈さんの本に寄れば、寛文4年(1664年)奥州の藤原満清なる
人が奉納したと言うが、この人物が何者で、何故奉納したのかは
判っていないという。
この木製の首は、宝物館に収蔵されているという。

このドラマは、縄文時代を背景としており、確かな資料も少なかったで
有ろうから、制作は困難だったと思うが、戦士以外の蝦夷を津軽に避難
させ、何十年か先に再びふるさとに帰ってきて欲しいと、希望を託して
死地に赴いていったアテルイ。

802年、アテルイ、モレが河内の国社山で斬刑に処せられる
それから249年後、再びみちのくは戦いに巻き込まれてゆく
前9年の役が起こったのである。
私の田舎は、その舞台となった北上川が悠然と流れている。

さてもう一つのドラマ「八重の桜」、地元会津でもほとんど知られて
いなかった「山本八重」が主人公になる大河ドラマと言うことで
今や空前の八重ブームが起きようとしている。

このドラマに登場してくる実在の人物像を示す資料が、新たに見つかる
など、NHKの全国放送の威力をまざまざと感じさせる。

特に八重の最初の夫「川崎尚之助」については、離婚後 鶴ヶ城で共に
戦った所までは知られていたが、その後の事はあまり知られていなかった。
こちらのブログに最近発見された資料の事が書かれている。

また、八重の二度目の夫となる新島襄の創設した同社大学のホームページ
には、八重の特設ページも設けられていて、八重の写真も掲載されている

当然のことながら、福島県にも特設のページが設けられた

そして早くも、会津若松の史跡を訪ね歩いた人が、ブログを書いて
史跡案内をしている人もいる。
それに寄れば、史跡の案内板が数多く立てられているそうである。
会津は桜の名所である。
東北復興支援を兼ねて、春のみちのく史跡巡りに出るのもいいですね

何か新しいことをやろうとすれば「何もしない連中が必ず邪魔をする
そいつらを蹴散らして前へ進め
という意味の台詞が有りましたね。思わず同感!!