花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

春景色

2013年02月25日 | 写真

寒咲き菜の花・ひたち海浜公園 (21日)

満開の部分では空が入らず、ちょっと寂しい


同じく水仙

春の香りを探して
菜の花の咲く千葉の御料牧場に行きたかったが、ガソリンの
高騰であきらめ、ひたち海浜公園で撮影した。

見晴らしの丘に登ると、身震いするような冷たい風が吹き付ける
あっという間に帽子を飛ばされた。
ロープの外側まで飛んでしまったので、諦めて戻ったら、登って
きた家族連れの若者が、身軽に拾いに行って渡してくれた。
みんなニコニコ私を見ている。
風は冷たかったが、心がホッコリして、私も笑顔でお礼を言った。

晴れ渡った空の向こうに、筑波山が背伸びしていた。


見晴らしの丘から海を行く白い船が見えた。

~~青い海 お船は遠く霞んでる、、、、思わず口ずさむ歌。

振り向けば、連なる阿武隈の山並みの向こうには、今も汚染と
戦う人々が暮らしている。
いわきの海岸に有った美空ひばりの歌碑を思い出した。
浜辺の「みだれ髪」の歌碑の前に立つと、美空ひばりの歌が
流れる。

「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」女心の切なさを
歌ったくだりが好きだったという美空ひばり
近くには歌に出てくる「塩谷岬」があり、白く輝く灯台が有った

この灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなっている

この歌の作曲は「船村 徹」で、彼は栃木県の生まれだった。
学校で知り合った茨城生まれの「高野 公男」とのエピソードが
面白い。
高野が船村に言った「俺は茨城弁で書くから、おまえは栃木弁で書け」
それがヒントになって、北関東のイントネーションを楽曲に取り入れたと

後に「別れの一本杉」を生み出すコンビはこうして育まれたという。
「別れの一本杉」は、春日八郎が歌い50万枚という空前のヒットになった
売れない作詞作曲のコンビは、これで一躍世に知られたのである。
ところが、これからという翌年の1956年、高野公男」が26歳の若さで
病死してしまった。

笠間の陶芸の丘に行くと、高野公男の碑が建っていて、盟友船村徹の
歌が流れる。
数年前、その碑の前のベンチで、一人船村の歌を聞いていた。