花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

栃木路の節分草を求めて第2弾

2013年03月10日 | 写真

栃木県佐野市・柿平に咲く節分草

いつもの花友二人と、栃木の節分草を見に行った。
部署が変わって超多忙になったKさんの休みに合わせ
少し遅めの観察となってしまったが、柿平の節分草は健在だった。

今回は、初心に返って、節分草の花弁と根生葉の観察を試みた。


これは節分草の花の中心をトリミングして拡大した写真
ご存じの様に、節分草の外側の、花弁のように見える白い部分が萼で
本当の花弁は、退化して黄色い色をした密腺を持った部分である
私のへたくそな写真で見にくいが、花弁の途中から2つないし4裂
して、上部に密腺化した黄色い部分を(万歳した形でついている)もっているのが花弁

図鑑(山に咲く花)によれば
紫色の部分が、雄しべの葯で、雄しべは多数ある。
めしべは2~5個。果実は袋果で無毛、長さは1センチ
種子は数個つき、球状で褐色。


これは半八重咲きの奇形節分草


半八重咲きの節分草のシベの部分、シベの数が多い気がする


とても珍しい2輪咲きの節分草、後ろの節分草と重なって
わかりにくいが、一本の茎から2つの花が出ている
目の良い花友のKさんが見つけてくれた。
以前、栃木市の星野でも、一度見たことが有ったが、翌年には
出てこなかった。こういう突然変異は、毎年出るとは限らないから
一期一会の出会いと言っても良い。

さてもう一つの課題の根生葉だが、花と同じ根から出ている事を完全に
確認できず、おそらくこれがそうだろうと推定の域を出なかった。
と言うのも、「日本の野草」という図鑑には、写真説明に、石の間に見える
丸い小さな葉が、前年の種子から発芽した子葉であると書いてあり

根生葉なのか子葉なのかを見分けるには、花のある茎の根元を確認
する必要が有ったからである。
それに、根生葉の葉は、葉柄が花茎と別に出て長柄があり。葉身は掌状で
幅3~5センチ、3全裂し、さらに再裂すると書かれている。

ところが、花茎の近くに出ている葉は、5全裂しているように見えるものが
あり、同定には至らなかった。
毎年、見に来ているのに、いかに観察不足であったか思い知らされた。

柿平から栃木市の星野の四季の森に回ると、ローバイは散り始めて
満作が満開で、灰色の森を黄色に染め上げていた。
満作が満開の星野


見頃を迎えたアズマイチゲが、節分草の中に咲く


星野でも小さな八重咲きの節分草が有った。
いかにも清楚な感じがする花であった。

星野に着いた頃から突風が吹き荒れ、私の帽子が飛ばされて、保護地の
ロープの中に行ってしまった。
管理しているご婦人に伝えると、わざわざ拾いに行ってくださった。
ありがとうこざいました。

星野のお蕎麦屋で、手打ち蕎麦の昼食を食べて、都賀町の大柿に向かった
風は吹き荒れ、土煙が空を覆い、雨も降るという大荒れの天気になった。

大柿のカタクリの里で、雨がやむまで車で待機して、雨がやんだ一瞬に
アズマイチゲの群生地を見に行った。
そこには、今年も変わらずアズマイチゲの大群落が有った。
だが、アズマイチゲも日が差して気温が上がらないと咲かない花なので
荒れ模様では花が閉じていた。
突風が吹き抜けるたびに、白い蕾が身を震わせていた。

そこいら中の畑の土が舞い上がり、和製の黄砂が空を覆って、薄暗い
黄砂の話題で盛り上がりながら、珍しく明るい内にかえってきたのだった。

追記、星野の節分草は、ピークを過ぎていました。
特に田に近い、土手の下は枯れ始めていました。
見るなら右端の林の中にまだ残っていた。

外来の黄花節分草が見られる、レストラン「GOSARO(ゴサロ)」は
当分の間、休業という張り紙があり、中には入れ無いことが
判りました。


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今年は、あまり座禅草の良い物に会えないままです。
座禅草は発熱する植物として知られていて、自分の熱で雪を溶かして
開花するとも言われています。
それなのに、今年の寒さのせいでしょうか。
数が少ないですね。


栃木、かたくり山の座禅草、水芭蕉群生地で
カタクリ山の座禅草群生地は、現在崖崩れの為入山禁止です


同じく、かたくり山の駐車場脇に咲く座禅草


那須・風土記の丘ちかくの梅曽公園の水芭蕉、
但しこれは自生では無いらしい。
(いずれも、先週の金曜日に撮影)

かたくり山のかたくりは、かなり葉が出ていました。
おそらくカタクリの群生地としては、関東最大といえる広さです。

カーナビの設定は、栃木県那須郡那珂川町三輪745番地1

三和神社が入口で、神社の前に駐車場が有る
さらに右奥にも駐車場がある。
但し、カタクリの見頃は、いずれも有料となります。500円
トイレは、神社前の駐車場にあり、中腹には簡易トイレが有ったが詳細不明
中腹に休憩舎があり、山の上に東屋がある。
地元のボランティアが保護と整備をしているので、遊歩道の外には出ないこと。
詳しくは、那珂川町観光センターのホームページをご覧ください。















筑波山からの夜景、絶景でしたね

2013年03月08日 | 日記

筑西市・母子島遊水池からの筑波山・2011年1月

昨夜、BSジャパンで放送した「GRACE of JAPAN~自然の中の神々〖筑波山神社〗を
ご覧なりましたか。
山頂からの夜景は、もうちょっと見たいと思うほどの絶景でしたね。

それに比べると、富士山の景色は、イマイチの感がありましたね。
どうも撮影者が違う気がします。
画面左には、レンズの汚れがもろに写っていて、なんだか自分の下手な
写真を見ているような恥ずかしさを覚えました。

それはともかく、神社までの登山道を北条からの「つくば道」にしたのは
流石という感じでした。
歴史を感じさせる神郡の町並みや、筑波山ファンクラブで2月に歩いて
昼休みに使わせて貰った「旧筑波郵便局」も取り上げられ、なんだか
嬉しい気分でしたね。

登山コースは、NHKの日本百名山でも紹介した「白雲橋コース」、普段は
登山者の少ないコースでしたが、これからは放送の影響で増えるかな。

それにしても、加波山の採石場と石材工房が紹介され、工房の住所まで
表示されたのにはびっくりしました。

さて、これからDVDに焼いて、保存版にします。


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最近手に入れた資料


桜川市真壁の伝承館で200円で販売している「鎌倉街道と小栗道」の
パンフ
八郷のNさんから見せて貰っていたが、先日、東京の慶応病院に入院した
先輩のNさんを、一緒に見舞いに行ったKさんが、百名山を完登したあと
史跡巡りをしていると聞き、送る約束をしていたので、自分の分と
一緒に買ってきた。
小栗道は、筑西市の小栗の小栗城址から、ほぼ直線的に真壁の湯袋峠へ
続いている古道で、現在も調査が続いているらしい。
自分的には、すぐには歩けないが、いつか時間の出来た時の為に取って
置くことにする。


これは伝承館においてあった「筑波山の登山コースマップ」
コースは、深峰遊歩道コース(ユースホステル跡地からの登山コース)と
キャンプ場と女体山を結ぶキャンプ場コースの二つ

表側には、花や鳥や生き物の写真や、葉っぱの見分け方が
載せられている(自然案内)。最新の登山マップとなっている。
発行は、桜川市商工観光課

真壁の伝承館や小栗道についての詳しいことは
こちらをご覧ください。

桜川市のお知らせ
企画展は3月17日(日)までとなっています。

〒300- 4408 桜川市真壁町真壁198 真壁伝承館

水戸の歴史館と筑波山梅林を巡る

2013年03月05日 | 写真

筑波山梅林、白梅がようやく咲き始めたが、まだ紅梅が中心






梅林から燧ヶ池

天気も良いし、気温も上がると言う予想なので、かねてから
行きたかった水戸市の歴史館に、筑波山展を見に行った。


水戸偕楽園の梅祭りで配っているパンフの地図から、歴史館の
位置を示す部分を写真に撮ったもの。
偕楽園の西門からまっすぐ陸橋のトンネルを抜けると、歴史館の
下に有る蓮池に出る。
ここから水車小屋の脇を右に行くと、歴史館の敷地に入る。

と言うわけで、偕楽園の下見を兼ねて、桜山の駐車場に車を止めて
偕楽園から歴史館に回った。駐車料金は500円
偕楽園の梅の開花状況を、駐車場の係員に聞くと2割の開花だと
言っていたが、実際はもっと少ない感じで、寂しい限りだった。

猩々梅林から好文亭を見上げて


県立歴史館の敷地内に立つ「旧水海道小学校本館」


旧水海道小学校本館の開設板

歴史館に入ると、70歳以上は無料だと言うので(通常は580円)
免許証を提示して無料で入ることが出来た。こういうときは年寄りも
悪くないな(笑)

今回の特別展は、重要文化財から古地図、絵図、出土した土器やら鏡
明治の廃仏毀釈で壊されないように他寺に保存されていた仁王像など
普段ではお目にかかれない文化財が展示されている。
以前の歴史ハイキングで、こっそり見せて貰った36歌仙の絵も展示
されていた。
よくぞここまで関連する資料を集めて展示出来たと、感動してしまう
筑波山中禅寺の開山の祖、徳一上人の座像も飾ってあって、それは
月山寺に祭られていた木造の座像をお借りしたものだという。
三代家光が寄進したと言う「正宗」の太刀も展示されていて、葵の紋と
意味がわからないという梅紋が6つ、鞘に施されていた。(重要文化財)

これらの展示物は、撮影禁止なので写真でお見せすることが出来ない。
開場の受付で、展示物の解説書が千円で売られているので、それを買い
求めてきた。


展示物の解説書、茨城県立歴史館が発行したもの (定価千円)
しかし現物の展示品の迫力にはとても及ばない。
筑波山に興味のある人は、一度は見ておいた方が良いと思う。

筑波山の特別展示は3月20日まで、偕楽園の梅祭りと共に
見るなら、3月中旬がベストかな。

茨城県立歴史館のホームページはこちら








金色姫伝説の蚕影神社を訪ねて

2013年03月04日 | 登山

蚕影神社拝殿脇にある休憩舎(たぶん)に掲げられている
彩色絵の奉納絵馬
多分に金色姫伝説の「からびつ」を空けて蚕を見て驚く権太夫夫婦
を描いたものと思われる。
この写真をトリミングして部分拡大すると、老夫婦の表情が
見事に描かれている事に驚く。

右の爺様の表情


左の婆様の表情

実にいす生き生きと描かれていて、伝説の絵巻物を見ているような
錯覚を覚える。
この額を奉納したのは、長野県の小県郡(ちいさがたぐん)神川村の人らしい。
ちなみに小県郡神川村で調べてみると、明治22年に大屋村、国分村、
岩下村、蒼久保村の4村が合併して出来た村だと出ている。

この他にも、彩色絵が本殿等にも有ったが、長年風雪にさらされて
何を描いたのか判らないのが多数有った。
誠に残念と言うほか無い。

2月中旬、燧ヶ池を尋ねた帰り、蚕影山(こかげさん)にも登って、蚕影神社
を訪れた時の写真である。
結エディットが出版している「郷土の先達とゆく筑波山」によれば、205段の
石段を登ると出ているように、付近の自然石を用いて作ったという形も
バラバラの石段を登っていく。

最初の石段


2番目の石段


鳥居の向こうに3番目の石段が見える。


3番目の石段を見上げると、やっと拝殿が見えてくる


拝殿の正面


屋根を見上げると「蚕」の文字が飾ってある。
天の虫と書いて「蚕」という文字が出来ているのに納得。


拝殿の脇に有る休憩舎とおぼしき建物、この中に彩色の絵馬が
飾られている。

この神社の回りは、養蚕に関係する団体や個人の奉納額で
埋め尽くされていると言っても 過言ではない。
流石に養蚕発祥の地と言われる由縁である。

神社の石段の登り口に、蚕影神社の沿革を説明する看板が
立っている。
その中に、「金色姫(こんじきひめ)」の由来が書かれている。
それについては、先ほど紹介した本にも書かれているが
相模原の歴史シリーズ」というサイトに、番外編として
蚕影神社の紹介が出ていたので、そちらを紹介する

相模原の歴史シリーズ

この中で面白いのは、3番目の和気広虫の伝説だ。
コカゲサンの名前の起こりが最もらしいのが良いですね。

ところで、私が訪れた時、神社の回りの巨木が、軒並み切り倒され
無惨な姿をさらしていた。





あまりにも酷いので、つくば環境フォーラムの代表を務める
田中さんに聞いてみたところ、地震で壊れた建物などを撤去
するため、車道を造っているらしいとの事だった。
それでは仕方が無いと思いつつも、残念な気持ちも有った。


拝殿の裏に立つ本殿
よく見ると床がボロボロだった。


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金色姫伝説には、インドから中が空洞な桑の丸木舟で
筑波山麓の豊浦に流れ着いたという事が書かれている。
現在の筑波山麓からは想像も出来ない話で有るが、その昔
筑波山麓まで海が入り込んで、入り江を作っていたという。
これは、筑波書林が出版している「筑波山」という本に
出ている。
著者は朝日新聞の科学部長などを歴任した木村 繁さんで

それによれば小田、北条、沼田と海岸が続き最奥は椎尾の
あたりまで入り江が入り込んでいたという。
その証拠として、筑波山麓の各地に貝塚が残っているという。
北条や豊里町田倉、真壁の椎尾、八郷町柿岡などに貝塚が
あると書かれている。
しかも、その貝塚から、タイやスズキなどの魚の骨、シカ
イノシシ、イヌなどの骨、黒く焼けたサザエ、木を燃やした
灰、極めつけは、石で作ったオノ、オモリ、矢じり等も
出てきたという。

つまり、実際にはあり得ないけれども、理屈ではインドから
海を超えて筑波山麓に流れ着く事は可能だったのだ。
伝説とは言え、実に面白いではないか。

尚、「郷土の先達とゆく筑波山」には、次のことも書かれている
近くの「」という集落には、「豊浦」という地名があり
そこに「権太夫」を祭った権太夫宮がある。
またの向かい側の立野に、舟が着いた「舟の宮」が有る
と書かれている。








筑波山の古い歴史の証

2013年03月01日 | 写真

筑波山とかやぶき屋根(建築中)が西日に浮かぶ(28日撮影)

筑波山の南麓にある六所大仏


六所大神宮の歴史を書いた碑


注目して欲しいのは、碑の裏側に刻んである古絵図六所大神宮がいかに壮大であったかを示すものとなっている。
社の後ろに二つ並んでいる山は、宮山とお宝山である。

古絵図を見ると
、社から南に延びた道は、松の木に覆われていた様だ
不動峠から神郡に抜ける山道は、その昔、日本武尊も通った道と言われ
白滝神社には、その名残をとどめている。
筑波山麓は、いにしえの名残を残すルートがある。
いよいよ芽吹きの季節を迎える
日だまりハイクで歴史探訪も面白いですよ。