どうやら例の蒲鉾(かまぼこ)が好きなようです。
「おお、ありがとう。へええ、どうも。家主(おおや)さんの前ですが、あっしはこの、蒲鉾が大好きでね。
今朝もこの蒲鉾を千六本(千切りのこと)にして、おつけの実にしましたよ。ええ、胃の悪いときには、また、蒲鉾を卸(おろ)しにしましてね」
「おお、ありがとう。へええ、どうも。家主(おおや)さんの前ですが、あっしはこの、蒲鉾が大好きでね。
今朝もこの蒲鉾を千六本(千切りのこと)にして、おつけの実にしましたよ。ええ、胃の悪いときには、また、蒲鉾を卸(おろ)しにしましてね」
「何?」
「蒲鉾の葉のほうは、糠味噌(ぬかみそ)に漬けると…… 」
「気をつけて口をききなよ。蒲鉾に葉っぱがあるかい…… おいおい、音をたてねえで食えねえか」
「えっ? 音をたてねえで? この蒲鉾を音をたてずに食うのは難しいや」
「そこを何とか一つやってくれ」
「うーん、うーん」
「おい、どうした、どうした?」
「うーん」
「おい、寅さん、しっかりしろ」
「うーん、蒲鉾を鵜呑(うの)みにして、喉(のど)へつっかえたんだ」
「そーれ、背中をぴっぱたいてやれ、どーんと一つ…… 」
「あー、助かった。この蒲鉾を音をさせずに食うのは命がけだぜ」
「お、お花見なんだよ。なんかこう花見に来たようなことをしなくちゃあ…… 向こうを見ねえ、甘茶でカッポレ踊ってらあ」
「こっちは番茶ださっぱりだ」
「しょうがねえ…… そうだ、六さん。お前さん、俳句をやっているそうだな。どうだ、一句吐いてくれねえか」
「へえへ、そうですな『花散りて 死にとうなき 命かな』」
「何だか寂しいな。他には?」
「『散る花を なむあみだぶつと いうべきかな』」
「なお陰気になっちまうよ」
「何しろ、ガブガブのポリポリじゃ陽気な句もできませんから…… 」
「誰か陽気な句はないかい?」
「そうですね。今わたしが考えたのを、書いてみました。こんなのはどうでしょう?」
「ほう、弥太さんかい。お前、矢立て(携帯用の筆記道)なんぞ持ってきて、風流人だ。いや感心だ…… どれ、拝見しよう『長屋じゅう……』うん、うん、長屋一同の花見というところで、頭へ長屋中と入れたのはいいね。
『長屋じゅう 歯を食いしばる 花見かな』え? 何だって、よく分からないな、『歯を食いしばる』ってえのはどういうわけだい?」
『長屋じゅう 歯を食いしばる 花見かな』え? 何だって、よく分からないな、『歯を食いしばる』ってえのはどういうわけだい?」
「なに、別に難しいことはない。偽りのない気持ちを詠んだまでで…… つまり、どっちを見ても本物を飲んだり、食ったりしている。ところが、こっちはガブガブのポリポリだ。ああ、情けねえと、思わずバリバリと歯を食いしばったという…… 」
「しょうがねえなあ。じゃあ、こうしよう。今月の月番、景気よく酔っ払っとくれ」
「いえね、家主さん。酔わねえふりをしてろってえならできますけど、酔えたってそりゃ無理だよ」
「無理は承知だよ。だけど、お前、それぐらいの無理は聞いてくれたっていいだろう? そりゃ、あたしゃ恩にきせるわけじゃあないが、お前の面倒は随分みたよ」
「そ、そりゃわかってますよ。そう言われりゃ一言もありませんから、ああ、一つご恩返しのつもりで……
覚悟して酔うことに決めました」
覚悟して酔うことに決めました」
「ああ、ご苦労だな。一つまあ、威勢よくやってくれ」
「ええ、では家主さん」
「何だ」
「つきましては、さてはや、酔いました」
「そんな酔っ払いがあるか。いやあ、お前はもういい、来月の月番、丼鉢(どんぶりばち)かなんか持って一つ派手に酔ってくれ」
「はっは、しょうがねえ。どうしても月番に回ってくらあ。手ぶらじゃ酔いにくい。その湯飲み茶碗かせ。さあ、酔ったぞ。誰がなんて言ったって、俺は酔ったぞッ」
「ほう、たいそう早いな」
「その代わり醒(さ)めるのも早いよ。本当に俺は酒飲んで酔っ払ったんだぞ」
「断わらなくてもいいよ」
「断わらなかったら、狂気と間違えられるよ。さあ、酔った。貧乏人だ、貧乏人だって馬鹿にするない。
借りたもんなんざぁ、どんどん利子をつけて返してやらあ」
借りたもんなんざぁ、どんどん利子をつけて返してやらあ」
「その調子、その調子」
「本当だぞ。家主がなんだ。店賃なんぞ払ってやらねえぞ」
「わりい酒だな。でも、酒がいいから、いくらでも飲んでも頭にくることはないだろう?」
「頭にこない代わり、腹がだぶつくなあ」
「どうだ、酔い心地は?」
「去年の秋に井戸へ落っこったときのような心地だ」
「変な心地だなあ。でもおめえだけだ、酔ってくれたのァ。どんどんついでやれ」
「さあ、ついでくれ、威勢よくついでくれ。とっとっとと、こぼしたって惜しい酒じゃあねえ……
おっと、ありがてえ」
おっと、ありがてえ」
「どうしたんだい?」
「ご覧なさい、家主さん。近々長屋に縁起のいいことがありますぜ」
「そんなことが分かるか?」
「分かりますとも…… 」
「へえ、どうして?」
「湯飲みの中に、酒柱が立ってます」
お後が宜しいようで……