愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

静御前の旅と愛犬

2022-05-15 22:21:00 | 
鈴ケ神社は、アイオン台風前は
お社に掲げていたのは、鈴ケ御前の名でした。東北は、しず、は、すず、と、訛るのです。

アイオン台風以前の地元では、すすかごぜんさま、または、スズカジンジャ、と、いわれていました

いつごろであったか、夢をみたのです

静御前は、旅の途中一人、宿場に着きました。

広い板間には、沢山の旅人が休んでいました

静は、今から義経と、待ち合わせの場所に行くことになっていました

そんな夢でした

別別に行動しながらも、どこかしらで、待ち合わせを約束しながら旅をしたのだろう

そう思わせる夢でした

静御前が、鈴久名までくるのに、一匹の柴犬を連れてきたようです

この犬はずっと、鈴ケ神社のそばで、神社をまもっていたようで、これからも、そうしたいというメッセージを、柴犬から、受け取った人が近頃いたのです

忠犬ハチ公ならぬ、忠犬丸、です
皆さま、末永くよろしくお願い申し上げます

参拝されるかた、どうぞ、可愛がってくださいますよう

階段も設置され、いまは、休憩の椅子が、丸太を利用して境内にあります

一段とエネルギーが、上がったような境内になりました






真後ろは、補強した柱が二本あります。
今後の数年間は安心して参拝できそうです









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現役引退後一年たちました

2022-05-15 18:15:07 | 気になる記事

かわい美容院 閉店
伝説の私の叔母さんは、昭和47年から創業した、かわい美容院を、今年四月をもって閉店した。思えば私が幼稚園のころから、この店にたびたび訪れては、叔母さんにお小遣いなんか貰ったり、小学......

現在94才 フヨおばさん。
フヨは私が、4歳の時から、昨年まで、美容師として、盛岡で美容院を営んでいた。入籍したことはなく、おつきあいしていたお相手の方は、すでに亡くなり、身一つで、実家の私の両親のもとで、生活しはじめました。それが昨年のこと。
実家の草取りを一所懸命にやっています。
そろばんは小学生の時、学校で賞をもらったようで、今でも得意です。耳は遠いのと、腰がまがっていますから、お年寄りにはちがいありませんが、私より断然記憶力はよいし、私より断然しっかりしています。

私が小学生にあがるとき、中学に上がるとき、高校、就職、すべて、このおばさんに、準備資金を出してもらい、やっと社会人になりました。そして私が結婚し、4人の子をもうけましたが、この子らも一度も欠かさず、このおばさんから、お年玉、お盆のこづかいを、もらいました。

おばさんの美容院に私が行くとき、私の子どもが行くとき、絶対にお金をくれます。いらないといってもくれるんです。こころから、お金をあげたがるんです。500円か千円程度ですがくれるんです。根負けして私や子供らはありがたくもらいます。自分の作った野菜が育つたび、呼ばれるので、野菜をもらうのです。

フヨの母親はとても働き者で、そして謙虚で、無欲で、堅実でした。宮沢賢治の雨にも負けず、そのままの人間でした。明治生まれの実直な人間でした。
悪口一つ言わず、愚痴一つ言わず、歩けなくなって寝たきりになったのは、なくなる1週間前か、2週間ほど前でした。

最後は老衰ということでねむるようにしてなくなりました。
わたしは祖母を尊敬していました。そして深く愛していました。その長女、フヨにも同じく感じています。

フヨも、フヨの母親も、一切贅沢はしませんでした。そんな時代であったのを、受け止めて、自分へではなく、自分の血縁のだれかれのために、一所懸命に自分が働いた分のお金を、人に与えてきました。見返りは一切求めずです。

あっぱれ、あっぱれです。私は足元にも及ばす。及ばず

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前世の話と気づき

2022-05-15 06:10:00 | 気ままわがままつれづれなるまま
前世の話から

高校生のころから、長めの髪の自分ですが、だれにかは、わからないけれど
昔、前世のどこかで、誰かに、髪をお守りとして渡している私が居ました

半紙にカットした髪を包んで渡しました

戦にでるので、無事を祈って渡したのですね

織田信長なきがします

私は胡蝶(きちょう)という名の正妻だったようです
戦国時代で、戦が何度もありましたから、妻としては、最大限の自分のできることをしたくて、髪を渡したのでしょう

あの時代、大きな仕事というのは、男は、戦さ、でした。

戦となると、毎日が命がけでした

今の、時代はどうでしょう

仕事でミスをおかしても、首を、本当にきられることはありません

勝つか負けるか、まけても、命まではとられませんね

良い時代になりました
本当に良い時代です

心配より、安心のほうが、大きい時代です

最近は、コロナ不安が渦巻いてますが、人間とコロナは共存しはじめ、コロナはオミクロン株になり弱体化したから、もう終了したんだ、と、ウイルス研究の方がいっていました

そうです、もう終了したらしいのです

たまには、風邪を引くことがありますが、その程度なのですね

今日も、また、平和な日をわたしは過ごしました

何重にも重なった奇跡

いろんな体験、いろんな過去世があっての、今を生きている

この、今、の、ありようが、未来の自分

面白いことに、魂には癖が刻まれてるようですね

胡蝶、帰蝶、とも、書くみたいですが、この、キチョウが、何を成したかというと、織田家の家督争いが無かったほど、側室方と仲良く平和に付き合っていたようなのですね

子どもがなくて、側室の生んだ子どもを養子にしていますが、そこにも、側室方の、我先に、という様子はみられなかったようです

おそらくは、集まった女子たちと、ワイワイ、がやがや、楽しくお付き合いしていたんだとおもいます

私が高校時代がそうでした

クラスの女子は、約20人程でしたが、約半数の10人は、私のグループで、仲良くしていました

そして、更に親しい二人の友達とは、休みの日は、泊まりにいったりきたりしていました。今考えると今高校の三年間、見事なまでに、誰かの悪口や、彼氏とか、異性の話は、一切なかったです

変わっていましたね、恋愛に疎かったのですが、悪口もでませんで、ネガティブな話より、毎日の、なにか、面白いこと、楽しいことを、いつも言い合いっこしてました

ワイワイガヤガヤ、学校でも、私生活でも、高校の、三年間は本当に楽しい思い出です

就職で、友達と別れ別れになるのが本当に辛かったのは、致し方ないですね

就職先では、男女不平等な社会に、挫折しました

男に、負けるつもりはなかったのですが、実力を出す機会さえ与えられない、女という壁が、大きく立ちはだかって、人生においての挫折という感覚を味わいました

いまでは、男女は、競うことなかれで、お互いの特徴にリスペクトしております

男は、プライドが高いので、女は、それに合わせてあげる、母親のような、抱擁力が必要でして、

まだまだ、私は抱擁力が、足りないから、それが今世の、学びでもあるのだと

気づいた次第です






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