4月8日
鈴ヶ神社一之宮設置完了
川原工房㈱ 寄贈
4月30日
階段設置完了
工事請負 川原工房㈱
5月2日~
神社の傾斜を修繕スタート
川原工房㈱ご厚意
5月2日
一之宮の お賽銭箱 制作および設置完了
川原工房㈱寄贈
鈴ヶ神社にとりましては、この春、あれよあれよと、風変りし始めています。
もうかれこれ8年?10年?前になるのでしょうか。
今の夫、川原工房の代表であり、棟梁が、鈴ヶ神社に初めて参拝したときのことです。
天から声がして
「やっときたか」
夫 ??
天の声「ここと縁が深くなるぞ、苦労もするが」
うちの神社は昔アイオン台風があったとき、崩れたのです。それから復興までに数年がかかりました。
私の生まれたうちはとってもね、貧乏でね。魚も肉も出ない食卓でした。毎日母が布団の中に入れて作った納豆を食べて育ちましたね。
母は家事を手伝わせるようなことはしませんでした。なぜなら子どもたちにお金をかけれないから、不憫だからせめて、労働を課すのはしないようにしたそうです。
でも私は家の稼業である畜産の牛の世話をよくしていました。カイコも飼っていたので、その世話もしました。ひよこや鶏、それにヤギの世話もしました。動物が大好きだったのです。ヤギは大人の雌を初めにかい、それが双子のヤギを生んだのです。その子ヤギ二匹をかわいがりました。とっても良い思い出です。綱でつながなくても、私のあとをついて歩くので、犬のペットを飼っているような感覚でした。利口なヤギでした。
話がそれちゃいましたね。
壊れた神社を直すお金がない親だったのですが、私が就職して東京にでていたころに、北海道から一人の男性がうちの親のところに来たのです。
神社を建てさせてくださいというのです。詳しい話を聞くと、この方は、どうやら夢で、静御前が現れて、うちの神社の場所を、見せられたのだそうです。
夢で見せられた神社にお参りを数年間していたようでした。この間、お社は崩れていて、それでも団子があげられていたこともあり、大事にされてはいるようだとおもってくれていたようです。お社が倒れたままなので、神社再建のために、代金を出してくれて、それがきっかけで地域からの寄付もあり、今の神社ができたのでした。
神社のために行動を起こしてくれる人を、神社の神様は呼び込んだようです。あれ?そうか、今は川原工房の棟梁が今度は神社のために行動を起こしてくれると、見込んで、私と縁をつないで、夫婦にしたのかしら?なあんてね。
でも神様の計画は本当に精密ですからね。あながちあってなくもないかもですね。