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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

旧奥州街道のデザインマンホール蓋(三戸町~青森市)その3(最終回)

2018-05-19 20:59:54 | ぶらり散策
その3.では、今回の旧奥州街道のゴールとした青森湊宿(青森市)のデザイン蓋をまとめます。

青森市は、古く明治31年4月1日に市制を施行して青森市が誕生しました。平成の大合併までの間に、油川町、滝内村、大野村、筒井町、横内村、東岳村、高田村、浜舘村、荒川村、新城村、奥内村、原別村、後潟村、野内村を編入、平成17年4月1日に浪岡町と合併して現在の青森市が新設されました。

カラーマンホール蓋は、八重田浄化センターで展示蓋、それ以外は青森駅ロータリー内で見る事が出来ます。
こちらは、浄化センターの入口正面の建物です。
                
こちらが建物を入った場所に展示されている蓋です。
一つは、「ねぶた」と「跳人(ハネト)」をデザインした蓋です。もう一つは、「ねぶた」の武者絵をデザインした蓋です。
青森市では、2017年8月1日に第5弾のマンホールカードを配布開始しています。カードに描かれているマンホール蓋は、こちらに展示されている蓋です。
        
           
こちらは、路上に設置したイメージに編集してみました。
                 
       
以下は、路上に設置されていた蓋です。
こちらは、マンホールカードの蓋と配色が異なるカラーマンホール蓋です。
               

以降は、ノンカラーの蓋です。
  
デザインの異なるノンカラー蓋です。
                 

今回で、旧奥州街道を歩いて出会ったデザインマンホール蓋の整理は終了です。
別の機会に、各自治体毎に整理したマンホール蓋を整理したいと思っています。
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旧奥州街道歩き(野辺地宿~小湊宿(西平内駅)2018年春・4日目

2018-05-09 12:36:04 | ぶらり散策
4月24日(火)街道歩き4日目、今日は朝から小雨模様です。
自宅を20日に出発する時から、今日と明日の天気は雨の予報となっていましたが、晴男を自負する私でも変える事は出来ませんでした。
朝食を6時30分から採り、青森駅7時52分発の電車に乗り込みます。

街道歩きに1週間程出かけると、必ず1~2日間は雨に降られるので常に雨具は持って出かけます。
雨対策として、折りたたみ傘とポンチョを持ち、気温も下がっているので上着を一枚余分に着ます。
前日打ち止めとした青い森鉄道・野辺地駅に8時39分に到着、駅でポンチョを着て出発です。
               
駅前通りを進み、国道279号線に立ちます。野辺地川にかかる橋を渡り、野辺地町役場の方向に進むと野辺地宿に入ります。
役場近くで、奥州街道の標柱を見付け街道筋を確認、その近くで神社(野辺地神明宮)を見つけ、ルーチンとしている旅の安全祈願を行います。
こちらの鳥居の色は白色です。私は、鳥居は朱色との先入観を持っていましたが、よく考えると白木や石の鳥居(いづれも白色)は見ます。戻って調べてみると、朱色を使うのは仏教の考えから来るもので、「神仏習合」の時代からの鳥居か、仏教の考え方を融合し作られた鳥居のようです。
  
しばらく進み、左に折れて県道243号線に入ります。正面に、今度は朱色の大きな鳥居が目に入って来ます。
               
野辺地八幡宮です。御祭神は誉田別命(応神天皇)、近江出身の林善成という者が、関ヶ原の合戦に敗れたのち、修験に身をやつして当地に落ち延び、当神社を開いたと伝えられているそうです。
境内には、天満宮、金毘羅宮も祀られています。狛犬は、参道、拝殿前、天満宮、金毘羅宮の四カ所に奉納されています。
  
一番古い狛犬は、参道にあるもので昭和12年9月に奉納されています。
  
街道を進み、JR東日本の大湊線の踏切を渡ると野辺地港、常夜燈公園の案内板があるので、街道から右手に折れ向かいました。
公園の手前に、外国船の発見・監視をするため南部藩によって設けられた施設「港遠見番所跡」の案内標柱があります。
   
街道に戻り、野辺地川を渡り鳥居平地区に入ると右手に「野辺地戦争戦死者墓所」があります。
明治元年(1868年)の戊辰戦争の際、この付近で盛岡藩と官軍弘前藩との戦いがあり、その時戦死した弘前藩戦死者のうち27を祀る4基の墓石が建てられています。
  
右手に陸奥湾を見ながら進み、馬門地区に入って行きます。この地区は、ホタテの養殖が盛んのようです。
          
さらに進むと国道4号線と合流します。
               
その少し先が野辺地町と平内町との境界です。その境界の手前右側に、高札場と馬門番所が再現されていまます。
馬門番所は南部藩が津軽藩の藩境に設けた施設です。
  
しばらく進むと、4号線から左手に分岐し旧道に入りますが、狩場沢駅の少し手前で再び4号線に戻ります。
               
駅を通過した先に「ボンネット」と書かれた喫茶・レストランを見付けました。12時前でしたが「平内ホタテ活御膳」の旗が目に入り、昼食時間としました。
          
13時過ぎに昼食を終え出発、4号線を進みます。途中、「明治天皇御休跡碑」を見たり、口広地区では少し旧道に入り「諏訪神社」に参拝したりし、清水川駅でトイレ休憩をとります。
      
駅から少し進むと4号線から右に折れしばらく旧道を歩きます。左手に神社が見えたので立ち寄ると「清水川八幡宮」でした。
万治2年(1659年)の薬師堂、元禄元年(1688年)八幡宮創立、御祭神は応神天皇。嘉永元年に御堂・神楽殿を再建とありました。
こちらの神社で、私は初めて狛馬を見ました。昭和36年5月に奉納されていました。
           
4号線と合流し、清水川を渡りしばらく進むと、左側に平内町パーキングエリアがあり、その前に青森県歴史の道整備促進協議会が設置した奥州街道の標柱と案内板があります。こ小雨は降り続いています。冷えるのでトイレ休憩をとります。
           
また暫く進み、青い森鉄道の高架橋を渡ると4号線と別れ、右に延びる旧道を進みます。沼館地区から小湊地区に入ると103番目小湊宿となります。
時刻は16時前、ここで打ち止めとするか、次の駅まで歩くか思案しました。
電車の時刻を調べると、度良い電車が無いので次の西平内駅まで歩く事にしました。
その前に、駅近くにある「平内町歴史民俗資料館」に寄りました。
           
入館すると、津軽三味線を全国に広めた第一人「初代・高橋竹山」の姿が目に入ります。高橋竹山はこちら小湊の出身です。
また、敷地内には「平内代官所跡地」の標柱が立っています。

街道に戻り進むと、平内町役場の前に「竹内家跡」と「明治天皇行在所跡」の標柱があります。
竹内家跡とは、江戸時代の豪商竹内与右衛門の家があった所で、明治天皇が東北巡幸の際にその屋敷に宿泊したようでです。
               
街道を進むと4号線をぶつかりますが、旧道は4号線を渡りしばらく進んで右に折れます。平内中央病院に到着したのが16時30分前、その脇の道を進みますが、ここに奥州街道の標柱があり旧道を歩いているのを確信しました。さらに旧道を進むと、平内町藤沢地区で右に直角に折れ4号線と再び合流します。

4号線を進むと右手に西平内駅が見えてきます。
電車の時刻は17時27分、こ小雨が降るなか昨日同様にピッチを上げます。
そして今日も何とか電車に間に合い青森駅に向かいました。

本日の予定歩行距離19.7kmでしたが、一駅余分に歩いたので30km程になったでしょうか。
歩数計は、43,926歩を示していました。
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袖ヶ浦市のマンホールカードと成田国際空港で出会った飛行機

2018-03-25 21:54:59 | ぶらり散策
昨年3月、娘に第二子が誕生しました。
そして昨年12月、孫の顔見せと観光を兼ねご主人の両親が住むペルーに一家で出かけていきました。
そして3月20日、4ケ月振りに帰国するので成田空港に出迎えに行きました。

この日は生憎の小雨模様です。
通勤ラッシュに合うのが嫌なので、最寄り駅を早めに6時過ぎの電車に乗りました。
飛行機は、アメリカのダラス発で成田空港に15時55分到着予定なので、どこかで時間を潰してから空港に行かないと時間を持て余してしまいます。
そこで、昨年12月にマンホールカードを配布開始した袖ヶ浦市に寄ってから空港に向かう事にしました。

内房線の袖ヶ浦駅で下車、北口に出ると近くにマンホールカードに印刷されているカラーマンホール蓋が設置されています。



近くには防火貯水槽の蓋も見えます。

袖ヶ浦市のマンホール蓋の紹介は、カテゴリーの「マンホール蓋」で後日整理します。

今日は小雨ですが風が強く、市役所は駅から見えるのですが歩くのはちょっと辛いです。
市役所に到着、早速カード配布担当の下水対策課に向かいます。
窓口で簡単なアンケートを記入しマンホールカードを頂戴しました。
   

カウンターには、綺麗に色付けされたプラスティック製の小型汚水蓋と市マスコットキャラクター「ガウラ」が置かれ、出迎えてくれました。


成田空港で昼食を採る事にし、千葉駅乗換えで成田空港駅に向け電車に乗ります。
空港で昼食、ダラスからの飛行機が到着するまで3時間あります。
小雨ですが、時間つぶしに着陸する飛行機を撮りに見学デッキに出てみました。
風雨で寒かったですが1時間程頑張ってみました。

以下、撮った写真を時系列に並べてみました。
時差の関係かも知れませんが、日本はもちろんですが、中国、韓国、台湾、ロシアなどの航空会社がほとんどです。

中国東方航空(中国)

プライベート機(Gulfstream Aerospace G500G550)

S7航空(ロシア)

フィリピン航空

バニラ・エア(日本)

ベトナム航空

チェジュ航空(韓国)

中国国際航空(中国)

エバー航空(台湾)

シンガポール航空

センチュリオンエアカーゴ(B747-400)(米国)

廈門航空(中国)

全日空

ジェットスター航空(日本)

ヤクーツク航空(ボーイングB737-800)(ロシア)

全日空

日本航空


ここまで約1時間、寒さに耐えられず一時避難し1時間程休憩しました。
この間、20機を超える飛行機が着陸しましたので、3分おき位に着陸したことになります。
もの凄い頻度ですね。
第3滑走路(C滑走路)の建設も頷けます。

再度、15時前に見学デッキに出ました。
雨は上がったようですが、風が吹くと寒い状況は変わりません。
この時間帯で撮った写真を以下に並べます。
上記で撮った飛行機と同一の機体は省きました。

全日空

香港航空

デルタ航空

全日空(DHC8-Q400、ボンバルディア社(カナダ))

アメリカン航空

ユナイテッド航空


今回は30分強の時間でしたが、アメリカからの飛行機が増えました。。
娘一家は、ユナイテッド航空のジェット機だったので、既に着陸しています。
到着ロビーに向かい、待つこと40分程二人の孫も元気に戻ってきました。
無事帰って来てくれ一安心です。
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