四季 セントラルパーク ニューヨークの都市公園 [DVD] 価格:¥ 3,990(税込) 発売日:2007-09-21 |
京都市とニューヨーク市というと、一方は、日本の古都であり、他方は、摩天楼の国際ビジネス都市、とおよそ対極的に見える。
(ウィキペディアで規模について見ると、ニューヨーク市の中心区である、マンハッタン区が、人口的に京都市とほぼ同じで、面積的には10分の1、らしい。そうだとすると、あのマンハッタンというのは、京都を10に分割し、それを10層に積み上げた規模、ということになる)
しかし、徒歩で(車なしで)生活できること(→ただし、市中心部)、道路が碁盤の目のようになっていること、といったように、類似点も多い。
私が、この2つの都市で、もっとも似ていると思うのは、ともに、その中央北よりの位置に、京都は京都御苑、ニューヨーク市はセントラルパークと、ともに広大な公共空間、をもっていること。
私たち夫婦は、1980年代に、一年ほど、セントラルパークの東側に住んでいたことがあるが、週末にその域内をブラブラ散歩する感覚は、京都市民が京都御苑を歩く感覚と全く同じ、だと思う。
面積は、というと、京都御苑が東西700m、南北1300m、で0.91平方キロメートル、セントラルパークが、東西800m、南北4km、で3.2平方キロメートルで、セントラルパークの方が3.5倍広いらしいのだが、東西がほぼ同じ長さのためか、中に立った時に受ける広さの感じは、似ている。
いずれにしろ、都市の魅力や品格というものは、どれだけ整備された公共空間を持っているか、に依存するところも大きい。
そういう意味で、京都市にとって、その中央部に京都御苑を有していることの意義は、セントラルパークがニューヨーク市(マンハッタン区)という都市にもつそれと同様、決して小さくはない(相当に大きい)、と思う。
外観レベルの差異や類似は分かりやすいのですが、構造レベルの類似というのは、少し分かりにくいのですが、感情の方は理屈抜きですからね。人間には、初めて見た、あるいは、来たのに、妙に懐かしい、が理由が分からない、というのは、比較的よくあることのようですが、それは、深層レベルの類似性なので分かりにくい、というケースが多いのかもしれません。