一方悲劇もあった
柔道人生、最後も非情=福見メダルにも届かず
遠回りして、やっとの思いでたどり着いた柔道人生の終着点となる夢舞台。
だが、結果は非情だった。
女子48キロ級福見はメダルすら手が届かなかった。
泣きはらした顔で「これが五輪だと思う」。と
それは、 よもやの暗転。
ルーマニアのドゥミトルとの準決勝。
いきなり指導を受けると、
勝負を焦ったかのようにやや無理に掛けた大外刈りを返され、技ありを奪われた。
ポイントをリードして逃げの一手の相手を捕まえられない。
「一生悔いが残る試合に」。
4年前の北京五輪準決勝で谷亮子の3連覇を止め、
自ら金メダルに輝いた策士ドゥミトルに、日本選手がまたしてやられた。
2年前、昨年と世界選手権決勝でライバル浅見に連敗。
絶望的な状況をあきらめず奪った五輪代表の座。
だが、
3位決定戦も延長にもつれ、相手の鮮やかな小外刈りに体が舞った。
福見が注目を集めたのが16歳だった2002年。当時65連勝中だった谷を破った。
しかし、殊勲の勝利はその後逆に重圧となって自らを苦しめた。
その5年後、再び谷を倒したが、世界選手権代表にはなれず、
翌年の北京五輪代表を逃した。
喜びと試練は常に隣り合わせだった。
48キロ級は、
谷が1992年バルセロナから金2個を含むメダルを5大会連続で獲得してきた日本の金看板。
正式種目になってからメダルを取れなかったのは初めてだ。
「何度も崖っぷちを回ってきた。
でも立ち止まらず、
諦めずに前に進んできた。
それが自分の柔道人生だった」。
誇れる歩みだったが、
そしてサラリーマンの鏡みたいな・・
最後に笑えなかったのが悲しい。悲しい・虚しい・悔しい・・・
世界の夢舞台オリンピックには悲喜交々のドラマがあるんですねぇ~
オリンピックを観ていて・思わずウルウルしてしまった・・オヤジ