八王子市夢美術館で開催されている「広重 二つの東海道五拾三次 保永堂版と丸清版」を観てきました。広重による東海道五十三次の保永堂版と丸清版、そして大正時代と現代の写真が、各宿場ごとに展示されています。
広重の東海道は何種類かあるということは知っていましたが、こうやってしっかりと見比べてみたのは初めてです。一般的に有名なのは、天保4(1833)年から翌年にかけて出版された保永堂版のほうだと思うのですが、嘉永2(1849)年に出版された丸清版もなかなか。保永堂版を見慣れている私にとっては新鮮に映りました。
若い時の保永堂版は迫力があって、広重のエネルギーが伝わってくるのに対して、丸清版は丸みを帯びて熟練された感じを受けました。
【保永堂版・日本橋】
こちらは五十三次の中でも有名な日本橋。広重の五十三次というと、真っ先に浮かんできます。早朝、静寂の中でようやく江戸が眠りから覚めようとする頃に旅立つ大名行列。たまに出張などで朝早く家を出ると感じられる、あの凛とした静けさが伝わってきます。
【丸清版・日本橋】
そして丸清版の日本橋。保永堂版とは打って変わって、江戸の喧騒が伝わってくるようです。
日本橋に関して言えば、構図的には保永堂版のほうが好みですが、「音」が聞こえてくるという意味では丸清版。
でも、広重は何故、東海道を幾度も描き続けたのでしょうか?(解説によると20種類以上もあるそうです)
最初に出版した後、日本橋はこの構図でも描きたかったなぁ~などと思ったのでしょうか?
それとも版元から、今度はうちからぜひ出版させてくださいよ、先生~みたいに持ち掛けられたのでしょうか?
広重と版元、それぞれの思いが重なり合ったのかもしれませんね。
数年前、日本橋から箱根まで旧東海道を歩きました。また歩いてみたくなるような、旅気分に誘う広重なのでした。あ、そう言えば、今は甲州街道を歩いているんだった…。サボっていないで、早く再開させなければ!