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日日の幻燈




【野田尻宿風景1】


真っ直ぐに続く野田尻宿のメインストリートに入ります。道がきれいな直線なのは、この宿場が江戸時代中期につくられたとき、街道も一緒に整備されたということなのかな?

【野田宿風景2】


街道沿いには風情のある家屋が並んでいます。ここも明治以降大火にあっているようですが、静かな山間の宿場町の雰囲気が伝わってきます。

【野田尻宿風景3】


こちらはレトロな感じの建物。昭和初期の役所か、お医者さんか…そんな雰囲気。とくに風雪に耐えてきたドアが素敵です。

【本陣跡】


「明治天皇御小休所址」の碑が建っている場所、後ろの空き地が野田尻宿の本陣跡。野田尻宿の本陣はここ1ヶ所でした。
明治天皇がこの地に巡幸されたのは、1880(明治13)年6月。やはりかつての本陣が、いちばんふさわしい場所だったのでしょう。

【野田尻宿碑】


宿場の西寄りの場所に、立派な「野田尻宿」のモニュメント。ここをもって野田尻宿に到着したとしましょう。鶴川宿から5キロ弱(ガイドブックによると4.6キロ、1里3町)、約1時間30分でたどり着きました。

野田尻宿は1713(正徳3)年につくられた宿場町。もともと存在した村落を宿場町としたのではなく、新しくこの地につくりあげたということのようです。旧街道は今よりも悪路の山道だったでしょうから、旅人たちの難渋を緩和する目的があったのでしょうか?残念なことに、1886(明治19)年の大火で宿場は焼失してしまったとこと。

1843(天保14)年の『甲州道中宿村大概帳』によると、宿場の概要は以下の通りです。

本陣…1軒
脇本陣…1軒
問屋…1ヶ所
旅籠…9軒
宿場内家数…118軒
宿場内の人口…607人

【野田尻宿風景4】


ガイドブックによると、モニュメントの後ろは大黒屋という旅籠の跡らしいです。現地には、とくにそれを示す案内は出ていません。

【野田尻宿風景5】


モニュメントのちょうど反対側。公衆トイレがあります。この日歩いた鶴川宿から下鳥沢宿の間には、コンビニなどはない雰囲気なのでトイレの場所は事前に要チェックなのです。なのにネットで調べても、あまりトイレ情報には当たらない。街中ならいいけれど、こうして郊外や山間部の街道歩きをするときには絶対必要な情報だと思うのですが…。旅の仲間のうちで道中奉行をもって任ずる私が、ルートの下調べでもっとも重要視しているのは、何を隠そうトイレの場所なのでした。
全国1億3千万の旧街道歩キストたちよ、トイレ情報を積極的に発信してくれ給え!

【野田尻宿風景6】


レトロな感じの郵便局。明治時代の大火で宿場は焼失し、江戸時代の面影は残っていないとされますが、それ以降の、山間の町の静かな宿場の雰囲気は十分に感じられます。この辺りに鉄道(現在のJR中央線)が開通したのが1902(明治35)年。それまでは(あるいはその後もしばらくは)江戸時代と変わらず、宿場町として重要な位置を占めていたのでしょう。

【犬嶋神社】


野田尻宿の鎮守。鎮守様ならば、本来は参拝して道中の無事を祈願したいところですが、先を急ぐので鳥居の前で手を合わせました。

【野田尻宿風景7】


犬嶋神社を通り過ぎると、すぐに宿場のメインストリートの西端。野田尻宿を振り返って撮影。ほんと、気持ちいいくらいに真っ直ぐな旧街道です。江戸時代というよりも昭和の頃の面影を漂わせる、静かな宿場町でした。
ここも本陣や脇本陣などの個々の旧跡・遺構を示す案内や標識は出ていません。何だか、静かにそっとしておいて欲しい…そんなかつての宿並の、声なき声が伝わってくるような感じでした。

ここから道は左へカーブして、宿場の外へと続いていきます。


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