【鶴川宿を出発】
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鶴川宿を出て、次の宿場・野田尻を目指します。本陣跡で左折して細い砂利道を進み、さらに左折します(方角的には元来た東へUターン)。宿場内も何となく上り坂でしたが、ここからはさらに上り坂が続きます。左下、今通ってきた鶴川宿を木々の間から望むことができます。
【蔵1】
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宿場を出てすぐ、左手に屋号付きの蔵。
【鶴川宿西郊】
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鶴川宿を出たあとも、しばらくは家々の間を進んで行きます。
【蔵2】
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こちらはモダンというかレトロな蔵。村のほとんどが宿屋を経営していた、いわゆる一村一宿の名残なのか、それとも他の事業で栄えた証か?宿場のメインストリートを出た後でのこういった大きな蔵の存在に、ちょっと意表を突かれたのでした。
【鶴川宿を抜けて】
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道は相変わらず上り坂が続いていきます。鶴川宿を出て10分ほど歩くとだいぶ鬱蒼としてきて、山中へ分け入っていく感じが、これぞ甲州街道!って雰囲気で良き哉。
【中央道に合流】
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木々の間を歩いているうちに、車の通行音が徐々に聞こえてきます。と、思っていたら、いきなり目の前が開けて中央道にぶつかりました。旧甲州街道をぶった切るように中央道が通っています。右折してそのまま中央道に沿って歩き、前方の鳶ヶ崎橋で中央道を横断します。
ちなみに1814(文化11)年に編纂された『甲斐国志』の鶴川村の項には、「西は鳶ヶ崎に至り大椚に界す」との記述があり、この辺りまでが鶴川村だったようです。
【鳶ヶ崎橋より】
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上野原・江戸方面。ここを越えると鶴川村のお隣、旧大椚(おおくぬぎ)村へと入ります。
【大椚一里塚・推定地】
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鳶ヶ崎橋を渡ってすぐ、道は右へ緩やかにカーブして行きます。鶴川村から大椚村への入口付近、この辺りが江戸から19番目の大椚の一里塚があった場所と推定されるとのこと。
【大椚一里塚・モニュメント】
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一里塚推定地から数分歩いた場所に、立派なモニュメントが建っています。ガイドブックによると、一里塚に付き物の塚木は無かったとのこと。上野原市の「旧甲州街道ぞいにあるく」によると、塚木が何であったか不明…だそうです。
【廿三夜塔】
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1800(寛政12)年の建立。毎月決まった日の夜に人々が集まり、月を拝み邪気を払うというのが月待ちの行事。飲食もセットだったとのことなので、今でいう飲み会による親睦も兼ねていたのでしょう。幾つもある月待ちのうち、二十三夜待ちは全国的に見られるそうです。そう言えば、今までも街道脇に二十三夜塔はかなりありましたね。
【大椚宿発祥の地】
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大椚村は中世以前からの古い集落です。『甲斐国志』によると、隣の鶴川宿よりも家数、人口ともに多く、村内の家数82軒、人口は348人と記されています。寛文(1661~73)の検地の際、鶴川村と分かれて別村になったとも。大椚村から鶴川村=鶴川宿が分れたということでしょうね。
ちなみに大椚宿は間の宿(あいのしゅく)です。間の宿とは幕府が定めたな公式な宿場ではありませんが、簡単な休憩所や飲食を提供する集落のことです。ただし宿場町保護のため、宿泊は認められていなかったとのことです。
【大椚から眺望】
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南の方角の眺望。旧街道は河岸段丘の上。ここより低い位置を桂川が流れ、JR中央線が通っています。
【大椚風景1】
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長閑な旧街道風景です。太陽が燦燦と照りつけ、もしかしたら肌寒くなるのでは?って着ていた上着を脱ぎ、Tシャツ1枚になったのですが、すでに汗が滲んできています。この日は暑さとも戦うことになります。
【大椚観音堂と吾妻神社】
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写真の右が観音堂、境内の奥、石段を上ると吾妻神社です。
観音堂には大日如来坐像と千手観音菩薩坐像が安置されています。お参りした際に中を覗いてみましたが、暗くて確認できませんでした。ここの境内にあった大きな椚の木が、大椚の地名の由来となったそうですが、残念ながら枯れてしまいましたとさ。
公衆トイレがありますので、ちょっと休憩するにはもってこいの場所です。
【大椚観音堂境内の杉の木】
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地名の由来となった椚の木は枯れてしまいましたが、その代わりに、樹齢300年と推定される大きな杉の木が木陰をつくっています。
【大椚風景2】
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観音堂から歩き始めると、再び中央道。談合坂SA(下り線)まで1キロの地点。左側を中央道に沿って進みます。
【芭蕉句碑】
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道端に松尾芭蕉と弟子の各務支考の句碑。すでに摩耗・損傷していて句は読み取れませんが、以下の2句が刻まれているそうです。
「古池や蛙とびこむ水の音」(芭蕉)
「あがりてはさがりあけては夕雲雀」(支考)
句碑は日野の花岳寺16世八峰によって建てられたとあります。日野?随分離れた場所の和尚さんが建てたんだなぁ…と、東京の日野市を思い浮かべましたが、帰ってから調べてみたらこの付近の地名でした。
【長峰砦跡】
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芭蕉の句碑と同じ敷地内に長峰砦跡の石碑。戦国時代、武田信玄が東方の北条氏に備えて築いたとされます。中央道開通によって遺構の多くは消失していますが、それでも発掘調査によって、おぼろげながらも全貌が見えてきたようです。
付近に、濁っていても涸れることがなかった「濁り池」、やはり日照りでも水が尽きなかった「殿の井戸」があったとされます。芭蕉の句碑はこの池や井戸と関連して建てられたのでしょうか?
【新栗原橋】
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長峰砦跡から目と鼻の先、新栗原橋で再び中央道を渡ります。大きな「野田尻宿→」の標識が、いよいよ間近に迫る宿場を予感させます。
【野田尻宿を目指して】
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中央道を越えると、また鬱蒼とした雰囲気に旧街道は包まれます。日差しを遮るような薄暗い木々のトンネルの向こう、いよいよ野田尻宿近し!
【野田尻宿・江戸側入口付近】
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この辺り、地名はすでに野田尻のようです。そして、もう間もなく宿場の江戸側入口に到着です。
長閑な旧街道の雰囲気が続きます。鶴川宿から5キロ弱、約1時間。順調なペースで歩いてきています。