【山門】
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JR八王子駅から徒歩15分程度、元横山町の妙薬寺に行ってきました。山号は医王山、真言宗のお寺です。
この辺りは江戸時代には元横山村と呼ばれ、八王子宿のすぐ北側に位置していました。
妙薬寺の創建について、江戸時代の記録にはよくわからない…となっていますが、境内に建てられている「妙薬寺並法界塔縁起」によると、文和4(1355)年に薬師堂が建立されたことに始まるとのこと。
江戸時代になると、3代将軍家光から寺領7石の朱印を拝領しています。
【門扉の葵紋】
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門扉には葵の御紋。幕府から朱印地を賜ったことの証し…といったところでしょうか。
【本堂】
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山門を入ると左手にすぐ本堂があります。赤や白など色遣いがとても鮮やかです。昭和20(1945)年の空襲で焼失し、戦後の再建によるものだそうです。
薬師堂は、「武蔵名勝図会」に山門を入って西脇と記されていますが、再建されなかったのか、現在はありません。
【沙羅双樹と本堂】
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本堂脇に沙羅双樹が植えられています。植物にはまったく知識のない私です。沙羅双樹ってこういう木なんだ…。季節がらなのでしょうか、葉は落ちてしまっていました。
【本堂の彫刻1】
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本堂の正面には龍の彫刻。鋭く赤い目が印象に残ります。
【本堂の彫刻2】
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こちらは獅子と思われます。やはり赤い目でこちらを睨みつけていました。
【石塔】
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常夜燈でしょうか?側面に由来のようなものが刻まれているのかもしれませんが、確認できませんでした。
【横山塔(横山将監小野秀綱の供養塔)】
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境内の西側の墓苑に入ります。横山塔への案内板に従って進んでいくと、奥まったところに小さな門扉があり、その奥に建っています。
この石塔は永禄3(1560)年に建立された横山将監小野秀綱の供養塔とされ、東京都指定旧跡です。
もともとは付近の百姓の家の敷地内(木ノ下屋敷と記録されているので、名主クラスでしょうか)にあったものを、江戸時代に移したと伝わります。また、石塔の下には石棺があり、動かすと災いがあると言われていたため、塔は移しても石棺はそのまま置き去りにされたそうです。
横山将監小野秀綱がどういう人物なのか、調べてみましたがわかりませんでした。中世、この辺り一帯は武蔵七党のうちの横山党の本拠地だったとされ、秀綱も供養塔を建立されるほどですから、その一族として勢威を振るったのでしょう。
江戸時代の「新編武蔵風土記稿」など古い地誌には、単に横山氏の石塔、あるいは墓とされていますが、いつ、どうやって「横山将監小野秀綱」と個人名が特定されたのかなぁ?というのは単純な疑問です。「妙薬寺縁起」なる書物(?)に記されている…との情報もありますが…。
【山本勘助の曾孫(?)の墓】
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横山塔の脇にあります。
「先考張六府君・先妣山下孺人合葬之墓」と刻まれていますが、ここに葬られている人物の正体は…境内の縁起によると、何と山本勘助の曾孫だそうです。確かに八王子には千人同心や松姫など、武田家滅亡後、ゆかりの人たちが多く住んでいましたが、勘助の曾孫まで…。
妙薬寺のすぐそばには、仁科盛信(信玄の子)の娘・小督が武田家の遺臣たちとともに隠棲した地(玉田寺)がありました。この勘助の曾孫なる人物も、その遺臣のひとりだったのかもしれませんね。
【光明真言供養の碑】
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こちらも横山塔の脇にあります。
文化5(1808)年の建立で「本宿講中」と刻まれています。途中で破損しているのですが、空襲の被害でしょうか?
【庚申塔】
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刻まれている年号が読み取れなかったのですが、帰ってから調べたら宝永7(1710)年に建立されたものだそうです。
江戸時代からの古い塔や墓碑は、横山塔のある境内の奥の一画にまとめられているようです。
境内はそれほど広くはありません。
檀家さんや信徒さんを除けば、ここを目指して来る人の多くは横山塔が目当てだと思います。場所が少々わかりずらいので、注意してくださいね。
お寺の名前や山号(医王院)から、病気快癒とか、そういった方面のご利益があるのかな?と思ったら、八王子市仏教会のホームページによると咳止めに効くとのことです。