日日の幻燈

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【note】八王子城攻略記(4)-戦い終えて、追記やら何やら-

2018-08-26 | 新参者の八王子探検



八王子城攻略記(1)-御主殿へ向けて、いざ出陣!-
八王子城攻略記(2)-御主殿制圧!-
八王子城攻略記(3)-激闘!猛暑の本丸攻め-

煽るようなタイトルばかりでしたが、まぁ、何とか八王子城を攻略できました。で、それまでは八王子城にも、北条氏照にもさして関心がなかったのですが、こうなると、やはりいろいろと興味がわいてくるのです。単に八王子繋がりということではなくて、思い入れが深くなるといった感じ。

八王子神社で、7、8回登城しているという(多分)マニアさんに出会ったのですが、そのとき、
「ツメノシロには行きましたか?」
と聞かれました。
はい?ツメノシロ?爪?
本丸よりさらに奥へ尾根伝いに進むと、最後の最後、いよいよの時に籠る「詰の城」があるのだとか。そうか、そう言えば八王子城は大きすぎて、落城時にも未完だったとも聞きました。この日私とW氏が廻ったのは、その広大な山城の極々一部だけだったわけですね。
これは日を改めて、再度行かないわけには…と思うのでした。そうなると、やはり事前に下調べが必要になります。今回は初めてだったので、行き当たりばったりでも許されましょうが、次回はきちんと攻略プランを立てて臨みたいものです。


【八王子城j攻略プラン】


■攻略プラン(1)今回見落とした曲輪などの遺構の確認
「松木曲輪」
「小宮曲輪」
「詰の城」
もう一度行ったくらいでは、全貌を攻略するのはとても無理。せめて次回は、現地のパンフレットにも載っている松木曲輪や小宮曲輪、それに詰の城あたりは攻略したいものです。

■攻略プラン(2)根古屋地区の攻略
「宗関寺」
「北条氏照の墓」
八王子城址には「居館地区」「要害地区」の他にもうひとつ、家臣たちが居住した「根古屋地区」があります。今回はノーマークだったので、次はゆっくりと歩いてみたいものです。ちなみに氏照の墓は、彼の家臣だった中山勘解由の子孫によって、江戸時代中期に建てられた供養塔のようです。

【(参考)小田原市の北条氏政・氏照の墓所】


(参考情報)
こちらは小田原にある北条氏政・氏照兄弟のお墓です。2013年に訪れたのですが、墓所のフェンスには鈴がたくさん結わい付けられていました。「幸せの鈴」だそうです。領民のためを思って開城した氏政・氏照の優しい心が鈴に宿っていて、願い事をして鈴を持ち帰り、願いが叶ったらその鈴を結びに来るのだそうです。氏政・氏照への供養にもなります、とのこと。鈴は確か近くのお店で購入する(500円くらい)…だったかな。

■攻略プラン(3)城下町の旧跡確認
八王子城時代の「八幡宿」「横山宿」「八日市宿」
「月夜峰」
「下原刀」関連
旧城下町の面影は皆無と言ってよいようですが、わずかに地名やバス停に、在りし日を偲ぶことができそうです。落城後、城下の八幡宿、横山宿、八日市宿がそっくり移転して江戸時代の八王子宿が成立しました。
月夜峰は、城の東側、氏照が月見をしたと伝わる丘陵。今は宅地化され、学校の広大な敷地にもなっているようです。下原刀は、戦国時代から幕末にかけて、この地方の刀工集団によって作られた刀です。北条氏とも繋がりが深く、頭領は氏康の「康」や氏照の「照」の字を拝領して名乗っていたそうです。明治以降断絶していましたが、最近、復活したとのこと。
街道歩きをしている私にとっては、このプランが今のところいちばん興味ありなのです。


【江戸時代の八王子城】


落城後、八王子城は放置プレイだったようです。城下町は新しく建設された八王子宿にごっそりと移転となりました。これが今の八王子中心街に繋がります。
江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」には、旧跡として八王子城跡の項が立てられ、「武蔵名勝図会」にも「八王子古城跡」となっています。



ちなみにちょくちょく引用した両地誌ですが、「武蔵名勝図会」を執筆した千人同心組頭の植田孟縉(うえだもうしん)は、「新編武蔵風土記稿」の編纂にも携わっていたので、両書の内容はほぼ同じような感じです。幕府の公文書的な「新編~」よりも、個人的に執筆した「武蔵~」の方が、若干細かいというかマニアックな感じがしないでもありません。現代風に言うなら、「新編~」は役所が公開しているホームページ、「武蔵~」は個人的ブログといったところですかね。


【八王子城でイベントを!】


実際、八王子城を見て、それなりに興奮して帰ってきたわけですが、あれから数日、ちょっと冷静になって思うことは、八王子城の魅せ方をもっと工夫してもよいのでは?ということです。「八王子城精密ルートマップ」を執筆した堀籠隆さんは、八王子城は巨大なテーマパークと位置付けています。確かにテーマパークとは言い得て妙。テーマパークなら、それなりのイベントでアピールを!ということで、私も即興で考えてみました。

■イベント案(1)御主殿跡で薪能
居館地区の発掘調査で明らかになった、御主殿や会所、庭園などの主要遺構は埋め戻され、復元された礎石が調査に忠実に配置されているようです。ならば、ここは建物自体を復元してしまってもよいのではないでしょうか?会所で薪能でも開かれたら風流ですね。氏照の横笛にちなんで、笛の演奏会なんかもいいかも。
但し、建物を復元するのは居館スペースのみとして、要害地区は崩れた石垣や古道などの復元・整備までとしてほしいです。いくら観光アピールのためとはいえ、ありもしなかった天守閣や、誇張された櫓を建てたりするのはご勘弁を。

■イベント案(2)関東北条家狼煙リレー
本丸から狼煙をあげて、どこまでつながっていくか?関東の主要な城跡(北条家にかかわる城が望ましい)で狼煙リレー、秀吉が攻めてきたぞ!ってね。

■イベント案(3)北条三兄弟駅伝大会
小田原(氏政)~八王子(氏照)~寄居(氏規)間での駅伝大会。全走者は無理でも、スターターとアンカーが甲冑姿、途中で風魔党の忍者姿などあれば尚可。初日は小田原~八王子、2日目が八王子~寄居(あるいはその逆)と、2日間に分けて走るのがいいかも。
これは交通規制が必要なので、周辺各市町村の協力が絶対条件ですね。

■イベント案(4)送り火・ライトアップ
例えば落城した6月23日に、本丸や各曲輪にキャンドルや篝火などで、送り火やライトアップするのはどうでしょうか?(無遠慮なサーチライト的なものは不要)
ただ、見栄えをよくするには雑木をある程度伐採しなとダメかもしれないので、そうなると、簡単そうで実はいろんな方面との調整が必要となり、思った以上に難しいかも?自然保護という面からも、伐採による降雨時の災害のおそれ(地すべりとか)という面からも、調査が必要でしょう。お金かかりそうだな…。


【八王子城のアピール状況について】


上記、イベント構想(妄想?)でも書きましたが、盛り上げるにあたっては八王子市の後援(というより主導…要はやる気)が必須です。それも積極的な。八王子城は国の史跡なので、国も巻き込まないとダメなのかもしれません。実際に城を訪れてみて感じたのは、市当局者は(国はいったん置いておいて)、果たして積極的に八王子城をアピールしようと思っているのかな?ということ。
ボランティアの活動は活発なようですが、例えば草茫々の曲輪。御主殿さえも草が伸びていました。崩落の危険性がある古道や石垣。伐採された木が遺構を崩しているとも言われています。
八王子市って、観光客にアピールするものがたくさんあるのに、それが生かし切れていない印象。高尾山のアピールに全精力を傾けているのかな?八王子まつりですら、市外に対しての発信はそれほど強力ではない感じですし。
昨年の市制100周年でも、いろいろなイベントがあったものの、すべて単発って感じで、市をあげて(1年間通じて)盛り上がったかというと、それほどでも…ってとこでした(どこの市町村でも、市制〇〇周年イベントなんて同じような状況でしょうけど)。
この八王子城、八王子宿、大久保長安、千人同心、松姫(武田信玄の娘)etc。歴史ネタだけとってもけっこうあるのに、もったいないなぁ…と、思うのです。

八王子市担当者の方、偶然にも読んでくれたら、ちょっと考えてみてくださいな。


【八王子城主・北条氏照】


八王子城主・北条氏照についても、ちょっとだけ調べてみました。
父は北条氏康、母は今川家の出身。兄が4代目当主・氏政。弟に鉢形城主・氏規(うじのり)。八王子近辺の豪族・大石氏の養子となって、この地へやって参りました。ここから北条氏の北関東進出を、グイグイ主導していったそうです。そんなわけでバリバリの武闘派か思いきや、月見の宴を催したり、横笛を奏したりと、なかなかの教養人だったような雰囲気も。外交手腕にも優れていたらしい。そんじょそこらのヘナチョコ大名たちより、よっぽど優秀な武将だったようですぞ。
秀吉の小田原攻めの際には小田原城に籠城し、八王子城は家臣が守備していました。結局、八王子城は陥落、小田原城も降伏し、氏照は主戦派と目され、兄・氏政とともに切腹させられました。合掌。


【最恐心霊スポット説について】


写真は御主殿の滝で撮影したもの。映っているのはオカルト番組でお馴染みのオーブ(霊魂)なのか?
ま、それはさておき、八王子城は心霊スポットとしてまことしやかに囁かれています。このブログ記事を書いている今(2018年8月25日)、Yahoo!のトップに行ってはいけない心霊スポット云々の記事があり、バッチリ八王子城が登場していました。

で、実際のところはどうなのでしょうか?

霊感がまったくない私が言うのもなんですが(今までに若干の不思議体験がある程度です)、昼間に行く分には、そんな雰囲気は微塵もありません。ペット連れで散歩している人も結構います。
ただし、夜は行かないほうがよいかと。
なぜならば…
噂ですが…
本当に怖いのは幽霊ではなく、夜、たむろしている地元のヤンキー兄ちゃんたちなのだそうです(もちろん私は夜に行ったことがないので噂です、悪しからず)。ま、逆に言えば、このお兄ちゃんたちが平気なのだから、呪いとか祟りとかはありません…ということの証明になっているのかな。

そもそも夜に行っても何もすることがない場所です。まかり間違って、私のイベント案が採用されることにでもなれば別ですけどね。




そんなわけで、一連の八王子城攻略記はとりあえず終了。今後あらたな動きがあれば、続編を綴ってみるつもりです。その際は再びお付き合いいただきたく。
また、八王子城に関してはど素人の私です。間違いや最新情報などがあれば、それとなくご教示いただければ幸いです。

-八王子城攻略記・完-


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