歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




【信松院本堂】


昨日(1月2日)、「八王子七福神めぐり」で訪れた信松院。ここは七福神のうちの布袋様をお祀りしていますが、参拝客が多く訪れるこの時期に合わせて、寺宝の一般公開も行われていました(多分、普段は非公開なのでは…と思います)。
その中でも、信松院といえばやっぱり松姫さま。信松院は松姫を開基とするお寺です。

松姫は武田信玄の娘で、永禄4(1561)年に生れました。信長の嫡子・信忠と婚姻を結びますが(もちろん政略結婚でしょう)、武田・織田両家の関係悪化に伴い、結局は嫁がなかったそうです。武田家滅亡時に、当主・勝頼の娘、仁科盛信(信玄の子)の娘、武田家重臣の小山田信茂の娘らを伴い甲斐から逃れ、最終的に八王子に隠遁しました。家康も松姫が八王子にいることを知り、何かと気にかけていたとのことです。
その後、仏門に入り、武田家の菩提を弔う日々を送りながら、元和2(1616)年に亡くなりました。
この地には新しく八王子を建設した大久保長安や、甲斐との国境を守備した千人同心など、かつて武田家に仕えた武士たちが多く居住し、松姫はその者たちの心の拠り所であったと言われます。また、付近の子供たちに手習いを教え、里人たちと糸を紡ぎ絹を織ったとか。この織物が、のちに八王子織物になったとも伝わります。

【松姫さま坐像】


そんなわけで、予期せず松姫さまとの初めてのご対面となりました。
柔和なお顔をしています。
去年行われた松姫さま400年祭では、像が市内のゆかりの地を練り歩くイベントがありましたが、残念ながら見物に行けませんでした。
長野県出身の私としては、ともに落ち延びた仁科盛信(小学校ではことあるごとに歌わされた長野県の県歌「信濃の国」の歌詞に登場します)の娘(督姫)も大いに気になるのですが、まずはようやく松姫さまにご挨拶できて、ホッとしているのでありました。





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2017年がスタートしました。
まずは今年1年の幸と福を祈願しに、八王子の正月恒例の七福神めぐりに行ってきました。去年は断念しましたので、今年が初めぐりとなります。



今や全国各地に七福神めぐりのコースがありますが、八王子の場合は「八」と引っ掛けて、通常の七福神にプラス吉祥天の、8つのお寺をまわる‘八福神’めぐりとなります。スタートのお寺(8寺院のどこでもOKです)で色紙を買い(300円)、それぞれのお寺で色紙に朱印を頂きます(各200円)。色紙の中央の宝船の色が年ごとに違っていて、7年間お詣りできたら「金の色紙」を頂けるとのこと。

おお、ありがたや。

今年は1月1日~10日までです。時間は朝9時~夕方5時。

そんなわけで、金の色紙を目指して、まず今年がその第一歩です。


【伝法院-恵比寿天】


伝法院は成田山新勝寺の分院。創建は宝暦年間(18世紀中頃)、慶応元(1865)年に現在地に移転しました。JR八王子駅から歩いて10分から15分程度です。



ここで色紙を買って、七福神めぐりのスタートです。もちろん徒歩でまわります。
まずは本堂にお詣りして、そのあとで、脇にある恵比寿様のお堂へ。恵比寿天は商売繁盛の福の神。七福神の中で唯一、日本出身の神様なのだとか。

【本立寺-毘沙門天】


次は伝法院から10分弱、毘沙門天をお祀りする本立寺(ほんりゅうじ)。日蓮宗で永禄9(1566)年に創建されました。境内はかなり広いのですが、とてもきれいに整備されています。



本堂正面に毘沙門天が安置されています。インド出身の軍神・毘沙門天といえば上杉謙信。武運の神であるとともに、開運勝利と財宝富貴自在の福を授けてくれるのだそうです。

【金剛院-福禄寿】


本立寺から10分弱、金剛院です。天正4(1576)年の創建当時は今より南方にあったそうです。現在地に伽藍が建てられたのは寛永8(1631)年とのこと。高野山金剛峰寺から別格本山の認可を授けられています。



本堂脇の福聚堂に福禄寿は安置されています。福禄寿は中国の仙界出身で、招福と立身出世を司る福寿無量の神様とされます。

【信松院-布袋尊】


金剛院から10分弱です。天正18(1590)年の創建で、武田信玄の息女・松姫が開基とされます。松姫は武田家滅亡後、八王子に落ち延び、この地で尼となり武田家の菩提を弔いました。



本堂の下(地階)に布袋様が祀られています。布袋様は七福神の中で唯一実在した人物。中国の高僧でした。おおらかな性格で、そこから愛敬富財、鷹揚和合、度量無限の福徳を司るとされます。それから家庭円満も。背中に背負っているのは堪忍袋。
信松院の布袋様はかなり大きな像で、お腹に触ればご利益があるということで、もちろん撫でさせてもらいました。

ここで甘酒で一服。
今日はとても暖かったのですが、それでも1月。冷たくなっていた指先までほっこりしたところで、次へ向かいます。
途中、JR西八王子駅近くのファミレスで昼食を摂りました。

【宗格院-寿老尊】


昼食後、まずは宗格院です。
寄り道ぜずに歩けば、信松院から15分から20分程度でしょうか。武田家の遺臣で千人同心の山本忠房が、文禄2(1593)年、この地に草庵(宗格庵)を結んだのがはじまりです。



寿老尊は中国出身で不老長寿と延命を司ります。宗格院の寿老尊は咳止めのご利益もあるようです。

【吉祥院-吉祥天】


宗格院からちょっと離れています。普通に歩いて20分くらいでしょうか。しかも高台にあるので、急ぎ足だと少々息があがるかもしれません。
応永年間(14世紀末から15世紀初頭)の創建で、昭和29(1954)年に現在地に移りました。高台だけあって、西方(高尾方面)の眺望は素晴らしいです。



吉祥天はインド出身の幸福と美を司る、福徳自在の女神です。本来は七福神に含まれませんが、八王子の「八」に因んで七福神めぐりに加わっています。なので、八福神めぐりと呼ぶ人もいます。

【了法寺-新護弁財天】

吉祥院から15分程度で、萌えキャラをお寺のイメージキャラに採用し、「萌え寺」として地元(…及び一部のアニメファン)ではお馴染みの了法寺に到着。お寺の歴史は古く、延徳元(1489)年の創建と伝わります。



新護弁財天は右手に宝剣、左手に宝珠を持つインド出身の川の神様です。妙なる川の調べから音楽や芸能の神様とされ、また弁舌才知、学業成就、子育て、良縁を司ります。

【善龍寺-走大黒天】

了法寺から10分、最後の善龍寺に到着しました。長享2(1488)年の創建です。八王子城下にあったお寺が現在の地に移ったのは天正19(1591)年頃と伝わります。八王子城が落城し、新しい八王子の町が造られるのに合わせての移転だったのでしょう。



大黒天はインド出身で穀物や台所の神様です。善龍寺の走大黒天(はしりだいこくてん)は、右足を踏み出した姿からそう命名され、健康増進も司るとか。


【色紙と御朱印】


そんなわけで、御朱印を頂いた2017年の色紙です。
昼前からスタートして最後の善龍寺に着いたのは、途中で昼食を摂ったこともあって、夕方4時40分頃。5時で終わってしまうので、ぎりぎりでした。最後はけっこう早足になってしまいました。2日間に分けてめぐっても構わないのでしょうけど、やはりその日のうちに…って思ってしまいます。

慣れている人は、効率の良いめぐり方を知っているのでしょうね。来年は事前に作戦を立てておこうと思います。

さ、これで今年1年、良い事だらけの日々を送りたいものです。


八王子七福神めぐり公式サイト


※各寺院及び七福神については、主に「八王子七福神めぐり」のマップに記載されている記事を参照させていただきました。


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