彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

28・4・20 ある協議

2016年04月23日 | Weblog

  4月20日 議会全員協議会

主な議題は、今年予定している議員研修視察をどのような形で進めるかというものでした。

普代村議会の場合は、この数年は隔年で実施しています。

よく報道などでも、議員研修を抜け出して相撲を見ていたなど勝手に別行動をするなど、モラルを問われるような行動が問題になったりします。

初めて、あるいはあまり行くことのない地にいくと、誰でも開放的な気分になります。

そのことと研修目的とはまた別です。 研修は議員の「職務」としてやっています。仕事です。

といいますか、研修は研修として、それ以外で常識的に開放的になることとは違う話ではないでしょうか。

 で、何が言いたいかといえば、九州の地震被害もあり自粛するべきだという意見が出ました。

(被災地である東北の人間にとっては、コメントのしようがありません。早く落ち着くことを祈ります。)

遊び気分で研修に行くのではないか、と思われていますが実は当たらずして遠からずのところもあります。

その後ろめたさを重要視すれば、「自粛」はあり得ます。

村民からの批判も予想されます。

しかし、普代村の参考になること、発展につながることのきっかけを見出す、また議員としての視野を広げるという意味では仕事です。

視察研修はそういう意味です。

地元で災害が発生すれば、その対応などの職務があります。その時、仕事の優先順位は当然あります。

地元近郊以外で大きな災害が発生して、今我々にできる職務、仕事を自粛することが果たして妥当かどうかは疑問です。

経済活動の自粛や、沈滞ムードということにもつながり、色々な意味で逆効果にもなりかねません。

やはり、議員の気分の中には「物見遊山旅行」という方に重要性が置かれている気持ちの現れなのでしょうか。

自分自身、そんな気分はないかと言えば「おおいにあります」。

どんな気持ちで研修に行くか、一人ひとりの腹の中はわかりませんが、研修は仕事です。

本音を言えば、仕事として遠くへ行くのは色々都合もつけなければならず、他に仕事を持っているものにとっては気持ち的に落ち着かずおっくうです。

しかし、楽しい気分でいかないと持ちません。(言いわけですが)笑

以前にも、「今の時代、情報技術も進み現地に行かなくてもいろいろ調べることができるので研修視察は必要ない。」という意見も聞きました。

何回か行って見て感じることは、現地に行って直接見て・聞いて・体感することと、調べて分かることとは実感が違うということです。

魂(おおげさですが)で感じるか、頭の知識のみで分かった気分になるかの違いでしょうか。

 ということで、今回の話し合いでは決着がつかず、また村の課題とする研修目的も決定していないため持ち越しとなりました。

村の課題もですが、議会・議員の資質向上という研修も必要だと思います。

 

 この日は村民との意見交換会の今後についても、急きょ議長から出されて話し合いました。

 

 意見として、「2、3人しか出席しない地区もある。2,3人に説明して意味がないのでは。」

「毎年やる必要はない。隔年でいいのではないか。」 など、否定的意見が出ました。

まだ、この4年間でたった3回しか実施していません。

自分としては、始まったばかりだとの認識でいました。

議長が提案したこの話し合いも、今後はどう進めていったらもっと効果的にできるかという意味でのものです。

が、まったく逆方向へ進んでいくことに違和感をもちました。

村民の「もっと回数を増やしてほしい」という意見はこれまでに聞いていますが、逆の意見は自分には聞こえていません。

 

 確かに、各地で広がった「議会報告会」なるものは、人が集まらず暗礁に乗り上げているという状況もあるようです。

しかし、議会からの一方的な報告でなく、参加者が本音で意見をいえる全員参加の形の交換会。そんな議会もあるとも聞いています。

議会側もまだ慣れず、参加する村民も村政懇談会と混同しています。

その意味で進め方の難しさはあります。

 

おおいに課題が残った話し合いでした。

そのような研修を専門家から受けている自治体議会もあります。視察研修をこういうものに変えてもいいと思います。

行政の村政懇談会も参加者が少ないです。

参加者が少ないのは、村民に原因があるのか?

議会側の、来てもらう工夫・努力は十分なのか?

村政懇談会との違いを理解してもらうことの困難さは、すでに過去に認識しています。

 「議会」と村民の接点が必要であるとの意味合いでスタートした会です。

以前にも書いていますが、議員個人として行政、議会内部で提案することと、議会として提案することの意味は雲泥の差があります。

我々小さい議会には会派もなく、議員個人の意見は、いろいろな意味で「声の大きい」議員のものが通る弊害があります。

そのためにも、住民からの意見を正式に聞きましたという場は、大きなエネルギーになります。

 

 まだ走り出したばかり。 時間的にも、方法的にも、その後のまとめ的にも困難な作業であることは違いありません。

もっと方法論を議論して試して、それから後退を議論しても遅くないのではないかと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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