本日の岩手日報記事の22面です。
どうでもいいんですが、少し感じていたことがあります。
保護司の活動は「自発的な善意を象徴するもので報酬制はなじまない」と結論付けた。
との内容です。
「自発的な善意」かどうかは個々人によるので何とも言えない。
まあ「自発的な善意」ということの方が通りがいいのですが。
今の政府の姿勢から、報酬制にするとは思えないとは感じていました。
恐らく「見直し議論」をした風の体裁を繕ったという感じでしょうか。
また、「ボランティアをやっているんだ、偉いだろ。」という人も中にはいるかもしれません。
そういう方には、報酬があることは馴染みません。
元々誰も報酬を当てにやっている人はいないと思います。
報酬を出すとなれば、「財源論」が出るんでしょうね?(笑)
そこで頓挫するパターンです。
なるべく国民が持ち出しになる方法を政府は取ります。
自分をはじめ、収入が少ない人でもやっている人はいるはずです。
保護司の最初の研修で講師が言うのが、「時間とお金に余裕のある人」と言います。
これは、報酬を出さなくていい人を前提にしているという事ですね。
ただ、今後は今までのようには保護司は増えそうがありません。
消防団と状況が似ているように思います。
ある程度の報酬があれば助かる人、やる人も絶対いるはずです。
保護司選定の選択肢が増えます。
動機はどうであれ、その任務を全うでき人助けに繋がればいいと思うのですが。
個人的意見ですが、現役富裕層保護司の中には、
それでは困る層が存在しているように感じています。
これは現在の保護司会というのではなく、数年前に秋田の大会に出てみてから、
考えるきっかけになっていました。
そういう壁は今の政治と同じで、ぶっ壊すのは困難でしょう。
どんな組織でも、富裕層の発言力で動きます。
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