この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

父の死

2011-09-13 18:56:02 | つれづれ記
父が亡くなった。享年86。いや、数え88歳だった。
沖縄では、亡くなった人を少しでも多く歳を重ねたように、数えで言わないと同年齢の友人たちに怒られるのだ。

10年ほど前に脳梗塞で倒れてずっと寝たきりになっていたが、7月25日に肺炎を起こしたことが引き金になったようだ。
熱は抗生剤で下がったが、レントゲンで見た肺は真っ白、心臓は肥大して弱っているし、腎臓機能も落ちていた。全身状態は最悪だったのである。
8月26日に担当医から呼び出しがあった。尿が出なくなっている。交代で誰か付き添っていた方がいいでしょうと言われた。
31日あたりから右の眼球が動かなくなり、1日左の眼球も動かなくなって、いよいよ覚悟せざるを得なくなり、2日の夕刻、父は力尽きて息を引き取った。

親族代表挨拶で「父○○○」と父の名を読み上げようとして、「父」と言った瞬間、こみ上げるものがあって不覚にも涙まみれの挨拶となってしまった。
あとで息子に、「お祖母ちゃんのときには泣かなったのに」と言われてしまった。
確かに、9年前、母が亡くなったときはもう少し冷静だった。大腸癌で駆け足のように亡くなったのだから、普通は逆だろう?
それはまた宿題として。

やはり親の死というのは一大エポックである。
10年も闘病生活を送ったこと、何故(満足に意思疎通がはかれない寝たきりの状態のままで)そんなに長く生き続ける必要があったのか。そして何故今この時に逝くのか。今は知りようもないかもしれないが深い意味があるように思えてならない。
これはわたし個人の問題だけでなく、東北で震災に遭った人、原発の被害に遭った人、台風12号の災害に見舞われた人、交通事故や殺人事件に巻き込まれた全てに言えることだろう。
不幸にも亡くなった人、また生きながらえた人、その運命の違いはいったい何だったのか、今考えてもわからないがきっといつかその深い意味がわかるような気がする。

「父の死」は間違いなくわたしの自己確立に寄与してくれるのだろうか。
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