この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

マキシー・・・それがお前のあだ名さ

2020-12-17 13:39:31 | つれづれ記
撮り溜めた録画がなかったので、YouTubeの歌に行った。
何曲かサーフィンしていたら五つの赤い風船の「遠い世界に」に遭遇した。
まだ浪人時代の頃である。何かの用事で帰省した帰り、那覇港から晴海ふ頭への3泊4日の船旅の途中のことだった。同級生のミツオとマモルに会った。近況報告の後、インフォメーションセンターにみんなでギターを借りに行った。
ミツオやマモルは知らないが、わたしはギターの初心者だった。

卒業前、高校は自習時間が増えていた。当時沖縄では国費自費制度という検定試験があった。島内選抜試験である。受験者の獲得点数によって東大から私立の大学まで振り分けていく留学制度である。復帰する前年のことだから、本当なら最後の留学検定試験のはずだった。正確に覚えていないが、まだしばらく制度は続いたと思う。
それを受けた者たちは発表があるまで落ち着かないながらも暇だった。もしそれに落ちたら本土に受験に行くか、県内の大学に受験するかであった。(こんなこと詳しく説明しても興味あるのかな?)
わたしは国費自費制度を蹴って、繰り上げ卒業試験を受けて早稲田の受験に向かっていた。結局は敗れ去ったが。

教室の外の階段下でショウジュンやクニオたちがギターを弾いてみんなでよく合唱した。
その時楽器ができるというのはいいなぁと羨ましかった。
だからこそ、浪人時代上京して阿佐ヶ谷の下宿に入った時に、質屋を回って7千円の中古ギターを買ってきた。同じ下宿仲間、いや先輩のイワイさん(秋田出身)の手ほどきを受けながら、Gutsなど歌譜本を買ってアルペジオなどに取り組んでいた。

その流れでギターを借りたのだ。
するとコンパニオンのお姉さんがギターを渡しながら、「キミ達、船上コンサートをしたいんだけど演奏してくれない?」と言われたのだ。
ミツオもマモルもそれほどの実力ではなかったようだった。ボクラは固辞したが、押し切られてしまった。
会場で2、30人ぐらい集まっていた。「ボクラはギターの初心者なので、誰か上手な人がいたら一緒にお願いしたい」と協力を求めたが、たとえ自信があったとしても前に出てくるほど勇気のあるものはいなかったのだろう。結局3人でやることになった。

「遠い世界に」の初っ端。「じゃじゃーん、じゃじゃーん」という出だしがある。譜面を読めばいいのだろうが、その頃譜面は読めない。耳で判断して、開放弦でじゃ。A7でじゃーんとした。
それで押し通した。
途中で落ち着いてきたのか、周りが見え始めて、目の前にかぐや姫の歌に出てくる「マキシー」のような長い髪でマキシーの長いコートを着ているかわいい女の子が楽しんで歌っているのが目に入った。
目くら蛇におじずだったがコンサートは成功だった。(客観的な評価を聞いたわけではないが)

その後のディスコタイムもはしゃいだ。マキシーとも踊った。
翌日甲板で会って、とりとめもない会話を交わした気がするが、奥手の二人はアドレスを交わすことなく下船して左と右に別れたままであった。もう50年近い前の、青春の甘酸っぱい体験である。

失った時は尊いが過ごしている若者にはその価値は決してわからないんだね。あの時のあの瞬間はもう二度と戻ってはこない。

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