この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

悲しい、悲しい人生やね

2024-01-29 12:37:50 | つれづれ記
今朝(29日)8時過ぎ桐島聡(70)指名手配犯が亡くなったという報道があった。
昭和49から50(1974、75)年の連続企業爆破事件の容疑者として指名手配され、50年の逃亡生活の末、末期胃がんを患い病院に運び込まれたが、最期は実名で死にたいと思ったようで、本名を名乗り出たらしい。

わたしより1、2歳下になるようだが同時代を生きてきたといえる。
わたしは大学が学生運動のためにロックアウトになったら、これ幸いと友人たちと麻雀に呆けていたノンポリ(死語だね)だった。一方、桐島聡は間違った思想に染まって犯罪を犯し一生を棒に振ってしまった。かれらが理想郷としたソ連や中国、北朝鮮の今を見れば、とち狂っていたと言われても仕方ないだろう。
この50年間、通帳も作れず健康保険証もなく、人目を避けながら生きる人生はどうだったのだろう。

わたしはその間大学を出て、友人たちと酒を飲んだり、遊び歩いたりした。スナックのお姉ちゃんと仲良くなったりもした。そして結婚し子どもも一姫二太郎授かり、転職をしながらも彼らを成人させ、悠々自適とは言い難くとも、平穏な老後を迎えている。
それらの人生の一切がないのだ。
彼が最後まで武力革命の信念を持ち続けていたのなら、それも人生だが、偽名のまま死にたくはないと思ったのは、これまでの来し方に満足していたとは言い難い。

わたしには起こりえないことではあるが、同時代のひとりの人間の人生を考えた時、身につまされてしまう。悲しい、悲しい人生だったね。
その時には気づかなかったとしても、その後いくらでも罪を償うチャンスはあっただろうに。

<追記>
今朝(30日)NHKd放送に警視庁公安部元幹部のコメントが載っていた。
「まったく同情はしないが、死亡したのが霧島容疑者本人だとすれば、50年近くの逃亡生活で彼なりに苦労して生き延びていたのだろうから、最期に仮の姿から本来の姿に戻りたかったのかもしれない。
犯した罪は許されないが、時代にもてあそばれた犠牲者の側面もあり、彼を犯罪に引き込んだ人物たちは責任を取るべきだ」と語っている。
わたしの言いたいことを的確に述べている。20歳だった桐島聡はいわゆる鉄砲玉だったのだ。

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