この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

親父の生き方

2010-06-24 15:18:40 | つれづれ記
「行列のできる法律相談所」で何度か川原尚行さんという方が紹介されたことがある。
最初に紹介されたのは、今年の一月頃ではなかっただろうか。ただ、沖縄では一ヶ月二ヶ月遅れの放送はざらで、この番組は時々一年ぐらい前の再放送を平気でやったりするから、正確な放送日はわからない。
川原氏はスーダン共和国に外務省の医務官として派遣されていた。スーダン共和国は、テロ支援国家と見なされ、国連をはじめ世界各国からの支援を受けられないでいた。そんな深刻な国情に川原氏は同情して、日本人だけの医療行為しかできなかった現在の身分を返上してスーダンに住み着いたのである。1700万円の収入を投げ打って外務省を辞め、妻と子ら三人の家族を残し単身でスーダンに永住してしまったのである。

一番身近な家族を捨てて、赤の他人であるスーダンの人々を助けに行くというのは、全くもって理解しがたい行為というしかない。
しかし、めぐり合わせというか、理屈では片付かない事態に引き込まれることが時としてあるとでも言おうか。川原氏としては止むに止まれぬ気持ちで飛び込んで行ったのだろう。
「なんでこんなことしたん?」という紳助の質問に、「祖父の血があるんでしょうね」と答えていた。彼の祖父は、突然家に戦災孤児を連れ帰ってきて家族同様に育て上げた人らしい。そんな無私の心が彼にも脈々と流れているというのだろう。
一家の大黒柱の突然のご乱交は大変な事態だったはずだが、奥さんが小学校の教員をしていたおかげで、残された家族は路頭に迷わなくて済んだようだ。

わたしの家は両親の喧嘩の絶えず心長閑に過ごせなかった。
自分が家庭を持ったらせめて心の落ち着く楽しい家庭にしよう。子どもはのびのびと自由に育てて、勉強しろ、勉強しろと強制などしない。むしろ子どもは学ぶことが本当は好きだから強制しなければ自然に勉強好きになるのだ。そんなことを結婚する二十歳前から考えていた。
結婚し子どもができてから仕事は二の次にして、家庭中心の生活を志向した。仕事で得る評価より、家で喜ぶこどもたちの笑顔が一番だった。
沖縄に戻ったのも子どもたちの育つ環境には沖縄がいいだろうと思ったからだ。それなりに恵まれた役職に就いて前半生は良かったが、ここへ来て失業の目に会い、浪人中の息子からは自分の進学はどうなるのかと父親失格のイエローカードを出されている。
一方、川原氏の高校三年生の息子は自分を捨てたはずの父親を尊敬していると笑顔で語っていた。
いったいこの違いはなんなのだろう。
<つづく、かもしれない>

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2 コメント

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Unknown ()
2010-06-25 17:04:00
娘は尊敬する人を上げるとしたら「両親」ってすぐに出てきます。
同じ屋根の下で育った娘がそう言うんだから、息子もきっと同じだと思いますよ!
きっと、私よりも心配性でしっかり者だから、いまは色々心配なんだと思います(笑)
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娘よ、ありがとう (加屋凡男)
2010-06-26 12:55:36
いつも前向きなあなただからこそ、そんなやさしいことが言えるんだよ。
でもありがとう。きっとつづきを書きましょう。
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