18日に放送された「大豆田とわ子と3人の元夫」で、元夫たちを追いかけていた彼女たちにぼろくそ言われるシーンがあった。彼らが少し反論すると、「じゃあ、もう一人の自分がいて、その自分が今の自分と付き合いたいと思う?」と問われて一瞬言葉に詰まっていた。
なるほどと思った。ひょっとすると自分を知るための究極の問いではないかと思ったのだ。
二通りの問いがあるだろう。異性に対するものと、同性に対するもの。
わたしは異性になったことはないから、同性として「自分」はどうなのかというのを考えてみた。
ちょっと自信がなかった。もちろん友人はいっぱいいる。わたしから近づいた友人もいたが、向こうから近づいてきて仲良くなった友人もいた。
それはそれでいいが、「自分」が「自分」と付き合いたいかというのがこのテーマだ。
「自分」はずっと「自分」と付き合ってきた。だから「自分」のことは十分にわかっていると思っている。そして「自分」が正しいと思っていることは努めてやってきたから「自分」は常に正しく、いいやつだと思っている。
でも、正しいことがいいやつなのかという疑問も湧く。
「自分」が考えてしていることがはたから見ても正当なことなのかわからない。
自分の価値観で自分は生きているが、万人が同意できるものなのだろうか?
だんだんわからなくなってくるのである。
人それぞれの価値観、思い、正義の基準は違うからそこまで広く分析してもしかたないのかもしれない。迷路にはまるばかりだ。
同じ考え方をして同じように行動する相手なら、気心が知れているから付き合いやすいんじゃないか?「性格の一致」というやつである。
むしろ何を考えているかわからない相手と仲良くなれるだろうか?いや、逆にわからないから面白いという見方もあるだろう。
同じように考え、同じように反応し行動する。となると「自分」の考えが、相手の「自分」に素通しということだ。逆に相手の「自分」の考えが手に取るようにわかるということでもある。
面白いが、実際にあったとしたら気持ちが悪い。
また、テーマから離れてしまったようだ。
録画は消してしまったので正確なことはわからないが、彼女たちは「自分のそのような性格をいいと思っているのか」と追及していたのかもしれない。
「自分」はおおむね「自分が正しいと思うこと」をやってきた。「正・邪」だけでなく「自分が思う」通りに行動してきた。時に手抜きはあったし、「なあなあ」になって100%努力してこなかったこともあるが、おおむね信ずるところに従って生きてきた。
だから今と違う自分にはなれない。なんとも変えようがないのだ。
付き合えるか、付き合えないかの問題ではない。どんな性格だろうとずっとこの自分と付き合ってきたし、これからも付き合っていくしかないのだ。
結局この「問い」は愚問だったのだろうか?
なるほどと思った。ひょっとすると自分を知るための究極の問いではないかと思ったのだ。
二通りの問いがあるだろう。異性に対するものと、同性に対するもの。
わたしは異性になったことはないから、同性として「自分」はどうなのかというのを考えてみた。
ちょっと自信がなかった。もちろん友人はいっぱいいる。わたしから近づいた友人もいたが、向こうから近づいてきて仲良くなった友人もいた。
それはそれでいいが、「自分」が「自分」と付き合いたいかというのがこのテーマだ。
「自分」はずっと「自分」と付き合ってきた。だから「自分」のことは十分にわかっていると思っている。そして「自分」が正しいと思っていることは努めてやってきたから「自分」は常に正しく、いいやつだと思っている。
でも、正しいことがいいやつなのかという疑問も湧く。
「自分」が考えてしていることがはたから見ても正当なことなのかわからない。
自分の価値観で自分は生きているが、万人が同意できるものなのだろうか?
だんだんわからなくなってくるのである。
人それぞれの価値観、思い、正義の基準は違うからそこまで広く分析してもしかたないのかもしれない。迷路にはまるばかりだ。
同じ考え方をして同じように行動する相手なら、気心が知れているから付き合いやすいんじゃないか?「性格の一致」というやつである。
むしろ何を考えているかわからない相手と仲良くなれるだろうか?いや、逆にわからないから面白いという見方もあるだろう。
同じように考え、同じように反応し行動する。となると「自分」の考えが、相手の「自分」に素通しということだ。逆に相手の「自分」の考えが手に取るようにわかるということでもある。
面白いが、実際にあったとしたら気持ちが悪い。
また、テーマから離れてしまったようだ。
録画は消してしまったので正確なことはわからないが、彼女たちは「自分のそのような性格をいいと思っているのか」と追及していたのかもしれない。
「自分」はおおむね「自分が正しいと思うこと」をやってきた。「正・邪」だけでなく「自分が思う」通りに行動してきた。時に手抜きはあったし、「なあなあ」になって100%努力してこなかったこともあるが、おおむね信ずるところに従って生きてきた。
だから今と違う自分にはなれない。なんとも変えようがないのだ。
付き合えるか、付き合えないかの問題ではない。どんな性格だろうとずっとこの自分と付き合ってきたし、これからも付き合っていくしかないのだ。
結局この「問い」は愚問だったのだろうか?
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